2009年01月07日

《真剣勝負で挑む》

◆謹賀新年、皆さんいい初夢見ましたか。旧年中は多くのお客様にご支持頂き有難う御座いました。昨年9月、長年お世話になった『広田住宅センター』を廃業、『株式会社 広田住宅センター』に組織変更。私は個人営業のままでいたかったのですが、あまりに厳しい税制にやむなく改組。私の40年の実績・経験を充分に生かし行動します。
◆『リアルヒロ有限会社』は貝沢から田町に移転、今月から賃貸物件借り上げと売買仲介中心の営業に。『有限会社タカビル』は『有限会社広田不動産管理』と社名変更。社長も次男金次郎に譲り、文字通り不動産管理と営繕に特化。大不況の中、皆様の御相談に、より迅速・的確に対応する新体制でスタートしました。改めて御愛顧の程宜しくお願い申しあげます。
◆店舗のレイアウトも変更、事務所の古さもスペースは変わっていません。より狭さだけが目立ってしまったかな。一度遊びにお越し下さい。今回のヒロタグループの大改革は、この不況時に、私が仕事に専念し、社員全員でこの不況に立ち向かわねばとても克服できぬとの判断によるものです。アメラグ時の渾名『ガムシャラな猛牛』復活を目指します。
◆12月20日風邪気味なのに「第九」に出掛ける。珍しく?〔失礼〕音楽センターが9割方一杯だった。去年は大陸の中村君、勝敏の弟、深町光男君、今年は根岸市議、平塚容子さん新入団員ガンバ。大正生まれの先輩は長谷川忠さんの他何人いるのかな。群響も、高崎第九団員も凄い、何が。あの自分の出番でない時の直立不動の待ちの姿勢になんとも頭が下がる。とても真似できない。
◆翌日21日の夜行バスで富山往復出張予定を、体調を考え急遽電車に変更。本当はゆっくり滑川の「飛泉」で美味い海の幸をとも思ったが今回は中止、でももう滑川出張はないぜ。残念だが、今回で土地売却は完売なのだから。結局、富山駅前飲み屋街のルーツ、シネマビルの「茶文」でキスやカジキマグロの料理で一杯飲み、安いアパホテルへ戻り温泉風呂に。広い良いお湯だった。
◆翌22日「サンワ」で取引、現金を預かり、西川社長の車で魚津まで。帰りのほくほく線では私のひい爺さん恒次郎さんの田舎「泊」のにおいをかぎながら「鯖すし」を食す。こんな時お酒なしは珍しい。だって15時の境界立会い、16時セントラルビルの改修見積の報告会、18時半メトロポリタンで高崎立教会のクリスマス会と続くのだから、立教会では、さあー、飲むぞ。
◆11月、12月の3週は『底地・借地』専門家講習でお茶の水に通う。借地借家の旧法・新法、中でも『定期借地・借家権』を得意とする立川弁護士が具体的な判例で解説。この法律改正で奥行きが深いばかりでなく、間口も拡大しているようだ。地主・借地人の夫々の立場で難問山積だが、業者も勉強していないと置いてきぼりされる。
◆そういえば現在ある店舗改修要請の調停訴訟の相談に乗っている。この1月で4回目の調停になるが、副委任をされた前橋の弁護士が相手方に付く。随分と手間暇掛ける割合には事が進捗しない。過去何回も他の調停に関係したが、こんなケースは初めて。時間の無駄そろそろ取下げしないかな、調停委員の先生方も大変だ。裁判の簡素化、スピードアップが叫ばれている昨今だが。
◆ところで皆さんはどんなお正月を迎えたでしょうか。私の元日は7時ゆっくりと起床、散歩後、妻と墓参りそして親子3人で新年互礼。お屠蘇、お雑煮、おせちと進める。長男健太郎は風邪でダウンとの事、史恵と凛太郎で年始に来てくれる、楽しく新年初の食事を。その後田町町内会の初顔合せに、参加者12名、昨年に比して減少、とても淋しい。町内付合いも無くなってしまうのか。
◆例年通りのスタートは切ったものの、今年はどんな年になるのか。厳しかった昨年以上の不況が予測される中、明るく元気に頑張る夢を見続けたい。
2009年1月4日〔日〕24時
広田 誠四郎 書く
※14年間勤務してくれた橋爪友生店長が昨年末退職。近々に開業予定頑張って欲しい。
※田町店長は須藤恵一が後任となります。
本年もどうぞ宜しく
株式会社 広田住宅センター
  代表取締役 広田 誠四郎
リアルヒロ 有限会社
  代表取締役 広田 信子
有限会社 広田不動産管理
  代表取締役 広田 金次郎   

Posted by 広田 誠四郎 at 11:51Comments(0)TrackBack(0)リードプランニング

2008年12月11日

《今年1年お世話になりました》

◆12月7日。昨日から寒波襲来で1月中旬並の寒さになる、との事だったが比較的昼間は温かい日が続く。でもこの2,3日で日本海側、県内北部は雪が降り、漸く冬体制が整いスキー場もオープン。今朝8時、私は安中に向かう、遠くに冠雪した谷川岳が、目前には真っ白く大きな浅間山が、登場。子供の頃、スベリ台の上から見た白い浅間の噴煙の景色を思い出す。
◆今朝はラジオで『こころを読む』横浜国立大 宮脇昭名誉教授の植林の話、このところ先生はかなり積極的にマスコミに登場している。私も少し植林活動の手伝いしているので興味をもって、耳を傾けた。お話の内容が、びんびんと響いてくる。何故私もこんなにのめりこんでしまったのか。いのち、心、遺伝子を育む『いのちの森』に共感する。
◆今80歳の先生はあと30年、現場で指揮を執るという。普通は会議を開き、決議をし、予算を立て、スケジュール化し、行動。先生はそれではダメという。実行しながら考える。即行動、まず1本の木を植え、緑化する。その宮脇流行動パターンに私は納得。私は立派な人の話にすぐ感激、感動してしまう。「感じるだけ若いんだよ」とよく褒められるのだが?
◆12月6日、観音山の竹林〔芝塚町塚越応鐘氏所有〕を、元の雑木林に戻そうと今春から月1回竹伐りに汗を流す。仲間がいると楽しく少しずつだが作業が進む。竹退治に3年が必要との事。私も植林活動の一環でお手伝い、もっと地元高崎市民の仲間を増やしたい。市民の責任で観音山の管理をせねばならない。そこで塚越さんからの貴重な体験の場を提供してもらった事は有難く感謝申し上げたい。
◆その仲間〔と呼べる程親しくないが〕。昨日は野村武彦・藤森〔県環境アドバイザー〕西野仁美〔城山〕安田〔寺尾町〕勅使川原さゆみ・佐藤明子〔北小〕斉藤典子〔本郷町〕富田政留・山口政敏〔宮元町〕吉川政雄〔竜見町〕新井豊国〔フォレスト群馬〕高階ミチ〔昭和町〕〔以上敬称略〕が参加。もし参加者に落ちがあったらご免なさい。早く仲間に呼べるように。
◆12月3日、ロスにいる阿部孝之が癌で亡くなった、告げを同期の内山雄充から貰う。私が大学に入ってアメリカンフットボール部に入部、4年間同じ釜の飯を喰った仲間だ。迫水久常代議士の秘書を勤めた後、幾つかの職歴をへて渡米。若い嫁さんと青い目の小さい子を残して。渾名はマタンゴ、根性のあるいい男だった。卒業後もっと付き合いたかった。同期で2人目の故人となってしまった。残念。
◆11月24日、江木食パンの堀越茂夫会長の葬儀。21日、小谷好美〔マツヤス薬局・倉林〕さんの葬儀。18日小林偉夫さんのご子息、17日ゆいの家 高石友江さんのご主人そして高崎映画祭の茂木正男氏と若い人が続いて逝った。堀越さんはロータリーの大先達。茂木ちゃんは同年、好美さんは1つ下、高石さんは50代、小林さんは40代と若すぎる。
◆茂木ちゃんには、多くの夢を聞かせて貰い、実現する過程を見せて貰った。更に新しい夢を追いながら逝ってしまった。映画祭を立上げる頃はうちの2階に事務所を移し、若い人達と遅くまで仕事に精を出し、そして柳川町の『來來』で餃子を、酒を食していたっけ。金を集める能力は超一流、それもあの心底から溢れ出た情熱がなせる業だったのか。皆さんのご冥福を改めて祈る。
◆今年も残り僅か、振り返って反省をしてみたい。なんといってもショックは4月末の体調を崩したこと。自由にならぬ体を始めて味わった、簡単にぶっ壊れたが、何とか回復できた。完璧とはいかぬけれど、こうして文章も何とか書かせてもらえている。親から貰った身体、肝に銘じて83才までは持たせるべく健康管理に努めたい。親に、周囲に感謝。
◆さて肝心の仕事は、こんな1年になると誰が予測できたでしょうか。多くの事業所が、お金に苦労させられた年ではなかったか。昨晩、夢で『よくこの年末までもったなー、最後まで足掻きいていたようだが。そうもう1年頑張ってみなさい、年初から飛ばして行きなさい、きっと来年の年末は今の成績を残しているよ』と大黒様から励まされた。『困った時の神頼み』かな、1年間お世話になりました。

2008年12月7日〔日〕22時 田町にて
広田 誠四郎 書く
  

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2008年11月14日

《ハノイの合併でとても悩んでいます》(文中 敬称省略)


◆私は昭和49年11月4日に高崎神社で妻、信子と挙式、もう丸34年経過した。父金一【大正5年─昭和42年】と母敏子【大正4年─昭和47年】は昭和14年に、祖父松郎【明治26年─昭和38年】と祖母ツユ【明治29年─昭和16年】は大正5年に、曾祖父恒次郎【安政2年─大正3年】と曾祖母ふし【明治元年─昭和21年】は明治26年に結婚した。
◆150年前に、恒爺さんが生まれ、富山を離れ高崎に住み着いたのが100年前。新婚旅行で私は初めて広田のルーツを訪問した。当時田んぼの中に高い墓石、広い墓地[今のうちの墓に比較すれば]に立ち御先祖に感謝の報告できたことは大感激であった。今は朝日インターが直近なので便利である。ここ2年、御無沙汰、雪が降る前に墓参に行きたいな。
◆例年11月連休は決まって中国は重慶での植林。それが不景気と体調が今一つで、中止[本当の陰の声;9月中国、10月ベトナムそして11月の結婚記念日はいつも中国なんだからーー]。そんなこんなで今こうして原稿書きが滞りなく進捗している訳でござんす。リードの三枝社長、担当の西山さんにも「原稿提出が珍しく早いね」と褒められるかな。
◆こんな下手な文章でも「毎月楽しみにしているよ」と言って頂けるのは本当に有難い事。他社の共同広告チラシに短文を書き始めて60号を数えたがページ数を減少のため掲載不能の電話を貰う。経営悪化なのか、立て直しなのか、厳しい状況は何処も同じ。頑張って欲しい。リード誌は285号、じき丸24年に。継続は自分史にもなる、三枝社長に感謝。
◆井上工業の倒産で地元高崎だけに限らず県内外でも大変な事、出回っている手形は160日、配当ゼロである。今後半年間、影響はこれからより大きく拡がるだろう。多くの取引先が、建築主が、社員が被害を受けた、ご愁傷様です。他都市に比較して経済的に恵まれていた高崎市だがこれからはそうは行かない。特に建設土木・マンション業界が厳しい。
◆私が2年以上前からこのコラムでも書き、また他の不動産関連の講演でも再三話していたが《売れない・お化け屋敷現象》が出てきた。完成したものは『とりあえず賃貸にでも』といえるが、工事の止まった未完成建物はどうなるのか。お化けが出なければ良いが。近隣住民も誰が管理を、継続工事をするのか早急に明示・確認させる事が必要ではないか。
◆暗い話はこの位にして上武大の箱根駅伝出場おめでとう。花田監督招聘の背景には、当時の一学生の素晴らしい情熱があったようだ。大学当局もこの学生の情熱に応じたのは懸命だった。三俣理事長、美代子ちゃん、植原寅之助さんおめでとう、良かったね。私は花田監督とはRCのゲスト卓話時、御一緒したり、彼の住宅の斡旋をさせてもらっている。
◆10月13日─18日《ベトナム教育里親の会・第13回訪越団》。樋口守夫・三浦敦朗・鳥屋恵美子さんと私で皆さんからお預かりしている奨学金をハノイ市教育養成所へ。1学年50人×5学年×600円=150万円を副所長に手渡した事を会員の皆様に報告申し上げます。ホテルは例年よりも低レベルだが養成所まで徒歩2分、私は居心地良かった。
◆今回は2つ大きな事実を確認、1つは、ハノイ市できちんと市の教育委員会[養成所]に登録・公認された奨学制度は唯一私達[里親の会]だけ。他にも多くの奨学金制度があるのに。2つ目はハノイも合併で農村地域が拡大。今年の奨学金を授与するのは、全員新市内の1年生。と言う事は従来の旧市内の子供達は現在支給されている子供達で終了という事になるのか。
◆新市内の離れた小学校・里子の家を訪問。新1年生4人と面会、枯葉剤の影響か、2人が障害をもつ、でも明るい。片、両親が死亡、病気、年収が2,000円の家庭の子、12年前の初のベトナム訪問時を思い出す。新旧市内の生活レベルに極端に差がある。今年度の新里親さんへ、里子のプロフィールは翻訳が終了、近々にお手許に届きます。
◆前出の公認の件は意外だった。首都ハノイの公認された奨学会だけに胸を張って、里親募集に励まねばならない。また新市内だけで80小学校あるという、平等に奨学金を配りたいが今後どうなっていくのか。旧市内の子供達は、と考えると頭を悩まさせられる。果たしてこの会はどの方向を、又いつまで続けたら良いのか。難しい。
◆ビジネスをきちっとせねばならぬ厳しい時代。仕事をきちっとして少しは他所に目が向いてもと思うのだが、今やらねばならぬことが余りに多い。体調を整え、時間をつくりあと20年はしっかりとした行動をとりたい。ハノイ、マニラの子供の事、国内外の植林の事、赤十字の事、ロータリーの事、倫理の事、商店街活動等全てに欲張って生きて行きたい。

2008年11月3日[月]22時30分
広田 誠四郎 書く  

Posted by 広田 誠四郎 at 10:09Comments(0)TrackBack(0)リードプランニング