2017年02月18日

《ホーチミン・ダラット報告書》

◆2月に入り、日が伸びたがその割に朝は早くなっていない。自宅の河津桜ももう蕾を膨らませ開花準備に忙しい。1月はリハビリ通いが9回・14日定期の診察・17日負荷実験他・ベトナムに5日間と快調に過ごせた。診察結果は良を戴いたが、チョット調子ついて張り切りすぎると心臓が痛く、眩暈がくる。ベトナム旅行中に3度ほど痛みがきた。心臓のせい・糖尿のせい?やはりまだまだ本チャンには程遠い。自然は巡り、春は毎年来るが、私は一足早く1月22日〜26日迄南ベトナムの春を楽しんできた。
◆ホーチミン市から250㎞のダラット市を初訪問。藤和グループ(駒井實代表)の日越桜第3回親善ツアーに参加、総勢60人強だが駒井さんは体調不良で不参加。単独申込だったが三浦敦朗・大井田健一・鳥羽親彦社長の倫理仲間3人と偶然同行。ダラットは標高1500m、軽井沢の様な避暑地だそうだ。如何にもフランスっぽい街並みと雰囲気、早速散策に、高い建物は少なく、空気は澄み少し肌寒かった。ホテルから中心にある人造湖まで往復5㎞を快適に歩く。路地裏でもいつものハノイとは全く雰囲気は異なる。
◆夜は県副知事・市長・病院長他多くの要人参加での歓迎レセプション、歌・楽器・踊り等賑やかな宴会となった。このツアーを組み、日越両国の医療・介護などの医療・文化交流を促進し、より濃密な関係を創り出す。素晴らしいアイデアと実行力に改めて敬服させられた。さてこの会の名前『桜プロジェクト』の植林現場は例の湖畔、3年前からこの地において植林を始め、多くの桜咲き乱れる観光名所を目指す。そこに石碑が建っていたが「HIROTA JYUTAKU CENTER」も刻まれていた。私は少額寄付をしたっけ。
◆ホーチミンに戻って、多くの人は特別ツアーに出掛けたが三浦さんの親友 大門アクティの中田さん(現地工場経営)の案内で白エビの釣り堀での釣りを楽しみ、食して、テト(旧正月)の華やかなイルミネイションが輝く中今度は「おふくろの味 ますお」。小学校時代からの友人が経営、私は2度目。元気な夫婦少し若くなったようだ。翌日、午後はテト休みというのに運転手や守衛を出勤させて工場を案内してくれた。叉高級住宅地の自宅までも案内してくれ、私のベトナム半住生活の夢をそそってもらった格好になった。
◆その午前中は最大の出来事が。QUE HUONG CHARITY CENTER viet nam red crossを訪問、孤児院だ。学園長は49歳の女性、創立16年で現在340人の子供を面倒見ている。1か月前に園の前に捨てられた生まれたての赤子・混血の肌の黒い・白い・身障者・幼児・小・中・高・中年・年寄りまで給食も学校も、多くの外国のボランティアの青年たちの手伝いも含めて運営されている。あの現実を面の当にして私の心は大きく揺れた。是非近々に再訪し園長に会って話を聞き、何ができるかを模索したい。
◆話は変わるが、今私は「鐘の鳴る丘」2代目品川園長にビジネスでお世話になっている。きっとホーチミンのこの園をご存じだろうが是非このお話をして私の方向性の指導を受けたい。今の品川さんにお会いし感激したけれどきっと先代品川創始者はもっと迫力のあった方だったんだろうなと想像。そしてこの園のHUONG TIEU HUYNH園長さんもきっと同じような立派な人だろうと想像した。彼女は両親に乱暴され、逃げ、勿論学校など一度も行かず、無宿生活の中からこの施設を造ったという。今月中に品川さんに会おう。
◆この施設はベトナム赤十字が全面的にバックアップ。まさか今回のツアーで「孤児院」「赤十字」が出てくるとは、私はただビックリ、中田さんが私にこの2つを謎かけしたのかと私は悩む。取り敢えず、私が出来ることはゼロである。今やっている事をもっとしっかりした組織にする事だけ。他の事には振り向かず『中国植林』『ベトナム里親の会』のみに集中する。ただ「孤児院」の思想・手法は勉強せねばならぬ。そうだ『日本赤十字有効会』を忘れていたっけ、多く手を出しすぎは、良くないよね。そうだそうだ。
◆今月はベトナムでの話に終始。それだけ多くの感動を戴けた旅でした。『里親の会』もそれなりの感動を貰えますがーーー。2月は寒さも、雪もまだまだこれから本格的に襲ってきます。11日から中国湖南省で植林現場の視察です、どの位の林になっているか、村民としっかり交流してきます。今の時期、未だ厳寒の時もある様なのでせいぜい心臓を大切にしてきます。お互い寒さに負けずに頑張りましょう。来月は『蒋家村報告書』をお楽しみに。おやすみなさい。

2017年2月4日21時書き終わる
広田 誠四郎

  


Posted by 広田 誠四郎 at 20:14リードプランニング

2017年01月11日

《謹賀新年・炭のパワーは永遠です・やればできる》

◆謹賀新年、珍しく初日の出を見逃す。起床後20分ばかり散歩、朝風呂に入り、信子、金次郎と年の初めの挨拶・屠蘇を交わしおせちで朝食。少し遅れて健太郎・史恵・凜太郎・万次郎が加わり賑やかに、その後健太郎親子は史恵の実家に挨拶に。暮れに実父を亡くし嫁のお母さんも、嫁も慌ただしい毎日を過ごし疲労困憊、ゆっくり休んで欲しい。私は12時から田町顔合わせ・駅前だるま市・墓参と移動し早めに帰宅。だるま市は鐘や太鼓・三味で人集めは成功?だが、正月らしさは今一つ感じられなかった。
◆さて私の今年の目標は1まずは健康 2体重は72㎏以下 3リハビリ週2回 4早寝早起き 5即行即止 6素直 7整理整頓 8無償奉仕 9挨拶 10時間厳守 の10項目。あまり気張らずに呑気に実行を目指そう。やっとこ、体調も回復してきた。普段は仕事に励み、少しは自由な時間を楽しめるよう頑張ってみたい。1月22日ー26日ベトナム初めてのダラットに2月11日―15日3年ぶり中国湖南省へ出かける。現地での植林作業はまだ無理だが状況確認・企画・親睦程度なら問題なしであろう。
◆暮れに届いた幾つかの会報に、心揺さぶれる文が目についた。まずは「くまもり通信」川嵜實支部長の「故宮下正次顧問への追悼 炭の力を信じて」。宮下氏のご高説を聞いた川嵜氏は、10数年で深く宮下理論の実践をして各地の松枯れを防いだ。宮下顧問の研究指導に感謝しご冥福を祈る、と同時に川嵜氏の益々の活躍を期待したい。次は「さばく53号」。日本沙漠緑化実践協会の機関誌は近年、内容がより充実の感あり。発足当時の思い出から若い人の真剣に緑化に取り組む姿勢に感銘を受ける。少しく私の緑化活動の原点となる沙漠談義を。
◆遠山征瑛先生の「第1次中国沙漠開発日本協力隊」91年7月「広田住宅センター」の社員、平松義晴・後閑靖代さんも動員8次隊迄参加したが、1年強で遠山の親父と意見相違が生じ、我々は「地球緑化センター」を設立「実践協会」と袂を分かつ。暫くは疎遠であったがなんと「倫理法人会」で「実践協会」と接触、懐かしさのあまり2度訪問。そんな訳で中国通いは延々と続き内モンゴル沙漠、重慶の揚子江、承徳市の豊寧などへ私は都合40回強、訪中したが、ここ3年は病気と中国の強い姿勢?で凍結。
◆その「日本沙漠緑化実践協会」の会員も、植林活動の参加者も、寄付も減少、財政が厳しいと。更に世界の経済大国になった意地悪中国になんで我々が植林の手伝い、オカシクナイ?との声が、多いのも確か。でも一度でも沙漠で穴を掘り、木を植えた人はその時点で、その木が育って欲しいと素直に願っていると思う。どこに線が引いてあるのか、同じ地球だ。また、植林現場で村人や中国学生達と一緒に作業をし、心を通じ合えた感想は、皆良い人ばかり。そんな文面から私は思い、祈る。若い人達の心に≪地球は一つ≫が根付かないかな、と。
◆久し振りの訪中に今、わくわくしている。蒋家村は4回目、蒋雄軍さんは村の人達のカンパで日本留学・高崎経済大学で大宮登ゼミに所属。在学中から『日中友好桜プロジェクト』の私案を先生に相談、彼の熱意が先生を、周囲を動かし10年間の活動となった。今や禿山は緑に覆われ、果実も沢山収穫でき、小動物も棲息し、計画的農業に励み、生活も大分余裕が出てきた様子。大宮先生の物心にわたる強力な支援がおおきな成果をもたらした。素晴らしい≪故郷に錦を飾る≫≪師弟愛・日中交流編≫物語はまだまだ続く、そして第2ステージに。
◆今年は暖かな正月でスタートでき、良かったですね。私も倒れてから2年強、何とか周囲の手助けで仕事にも復帰でき、今、自分は幸せなのだと思う。取り敢えず、後遺症もなく、無理はできぬが普通の生活を楽しめる。あと何年持つかわからぬが、きっと逝く時は一発で逝き、妻子に手を煩わせぬであろう。大体、死に方もわかってきた。さあ、あとは13年間でしっかりと終活整理してゆけばよい。年頭においてゆっくりとこれからの『生き方』と『終い方』を考えることが出来た。感謝しまーす。
2017年1月1日 広田誠四郎 記
  


Posted by 広田 誠四郎 at 18:38リードプランニング

2016年11月09日

《ハノイの子供達》

◆11月4日 42回目の結婚記念日、へー、もう42年か。子供も男二人、孫も男二人と、家族は広がり繋がった。よく持ったものだ、と感じるし、改めて苦労を掛けた女房に感謝をせねばならない。そして11月9日が、心筋梗塞を発症して丸2年、今70歳だが、私は2年前をゼロ歳として、満2歳となった。この2年、これからあと何年持つかわからないが、これからの人生はみんな『おまけの人生・儲けもの』になる。大分体調は良くなってきてはいるのだが、今一つすっきりしない症状があり、完全復活を宣言できない状況である。
◆『健康』本当に体がしっかりしているという事は、有り難いことだと今更乍ら感じている。できれば健康で、ピンコロで与えられた命を終わらせたい。元気であれば、どんな行動も可能だ、どこにでも飛んでいける。その為には運動に励み、早寝早起きをし、暴飲暴食をせず、好きな事をして、余生を楽しむ、時間は充分ある。これ以上体調悪化を防ぎ、医師のいう事をしっかり守っていこう。そうすればベトナムにも、中国にも、他の好きなところに行って好きな事をやれる。一病息災、イヤ二病息災の私だが『おまけ』を大いに楽しみたい。
◆ハノイ報告。10月8日―13日今回は1年生5人、4年・5年10人と25人の里子と面会、お土産を調整するのに大変だった。印象に残ったのは、お姉ちゃんもこの奨学金を貰って卒業、今回弟も里子に選ばれたお母さんは、以前に家庭訪問をした時我々に会っていると大喜び、『私達家族は日本の皆さんのお陰で子供を小学校に出せます』と感謝の言葉。一方、5年生の母子家庭で父は0歳で病死、母は3年前に完全失明、母の面倒を見ながらの優秀な成績、母親は黒い眼鏡を外し、涙を拭きっぱなし、今後、この娘はどんな生き方をするのか。
◆今年度のお預かりした140万円はハノイ市教育養成所に。故川崎武雄・琴さん、櫻井弘・松岡伸・亜紀・小野垣義男・広瀬節子先生、清水一也会長・ソロプチミスト関連 井上順子・箱田明美さん、倫理の菅家利一・高橋正光・藤井昌子・金井正久・宮沢啓さんそれに田中隆夫・三枝子・鳥屋恵美子さんもうじき里子のプロフィールがお手元に届きます。どうか5年間で一度、里子に会いに行ってやって下さい。お陰様でこの23年で里子数は延3400名を超えました。感謝。
◆倉渕の牧野酒造・甘楽の聖徳酒造さんからお酒6本ずつを戴き、教育養成所・支所などにお土産に渡したが、ハノイでは度数が低く、水っぽく感じられてしまうようだ。ハノイ郊外のイオンのアンテナショップで『大盃』『聖徳』は立派に展示されていたが、どうもこれからの売り込みは日本の進出企業に期待するのかな。でも駐車場のバイクで一杯、丁度群馬町のイオンの駐車場の8割位がバイクかな。日本のテナントが日本と変わらず商品展示、フードコーナーなどお客様で一杯、全ての生活レベルが日本と変わらぬと見たのは私だけかな。
◆仕事の方は忙しい。休みは月に2,3日位かな。最近予測通りに行く仕事の割合が、高くなり、余計仕事が楽しい。勿論疲れるので早めに切り上げるのだが、時間の使い方が下手なのだ。そういえば歩くのも下手。しゃべるのも下手。字が下手。片づけが下手。上手なものはさて何があるか。打ち合わせ・契約・現地確認・研修・相談そして不動産コンサル等のほかリハビリ・会合・懇親会にも時間はとられる。勿論、昔の仲間との懇親はとても好き、11月18日は代々木でアメラグ1年生時1-4年のOB会、久しぶりに大いに楽しんでこよう。
◆今年の月めくりのカレンダーも残るは2枚。手帳も来年度用のものが賑やかに売り出されているが、なかなか選ぶのも難しい。やはり少し大きめのものが沢山書き出せるし、物も挟めて使いやすい。私はB5のノートとB5のダイアリーを併用して手帳はほとんど使用しない。それでも手帳コーナーに行って手にしてみる。あくまでも手書きが良い。でもこの原稿を書く?のに今は原稿用紙でなくワープロ(パソコン)で打ってはいるが、これ以上は。どんどん進化する道具に(器具)に後れを取る。
◆寒くなってきました。お風邪を召さぬようお体をお大事に、では12月までさようなら、再会。

2016年(平成28年)11月6日
14時40分書き終わる
            広田 誠四郎 記


  


Posted by 広田 誠四郎 at 18:58リードプランニング