2017年03月09日

《中国湖南省蒋家村報告》

◆1か月前から咲きだした我が家の河津桜は今が満開。毎朝小鳥が争って花蜜をついばむ。暮れに枝を剪定したので花の量は少ないが早春の我が家の楽しみだ。1月のダラット市、2月の我が家、そして蒋家村と、今年は桜見物・愛でる機会が多い。それではその蒋家村訪問記の始まり始まり。第13回桜プロジェクト(高経大教授大宮登会長)で2月11日ー15日まで中国に。会長の代理は長男大宮透団長・元沢藤電機 込山精二部長・新島学園 須田幹生先生・高経大1年生高岸昌平さんと蒋雄軍さん・広田の6人で訪問。
◆羽田―広州空港泊―新幹線にてチェン州西―蒋家村泊―嘉禾県泊―チェン州-広州泊-羽田の行程。広州からは高経大4年の李ソウさんとお母さん楊鳳玲さんが案内に加わった、通訳は蒋さんと李さん。私は病気のため丸3年中国訪問は控えたが、新幹線駅前は高層住宅が文字通り林立。蒋さん曰く「あの時不動産に手を出しておけば大化けし大儲けしたよね」本当にその通り。蒋家村に通い始めた10年前に比すれば交通網の整備・スピード化・社会の高級化・富裕化・インフラ整備に只々ビックリ、あきれるばかり。
◆蔣家村では旧正月も重なり楽団・爆竹・村中の老若男女が恒例の大歓迎、村の入口では村長始め幹部の出迎え。昨年村長は脳梗塞を患い大分回復はしたもののマヒが残りまだ一人で歩くのがやっと。今年選挙があるようだがもう無理せず早く元気になって欲しい。人間いつ倒れるか全く分からない。今年も緑化委員長宅に世話になった。今年はまだ息子夫婦も里帰りで残っていて賑やかだった。集会所での歓迎会、翌日の植林現場視察と精力的にこなし『蔣家村の近未来について』村民と話し合う。世代交代を意識させられた会議でもあった。
◆人口860人の蔣家村①この10年間で若者は出稼ぎに都会に、人口減・家庭の崩壊②空き家が目立つ・村の外側に新築移転―古い家を放置―ここでも空き家対策?3百年4百年の歴史的建造物の保存は?③区画整理・植林計画・経済林・観光地化・駐車場の確保④事業予算確保⑤これら全てを推進するための学習・勉強会(現在も村の大人の8割が文盲―厳しいね)。⑥マナー講習会(分別も掃除もしない)今回は初めて青年たちが目立って発言、正月ゆえ30-40代が多かったのか。蒋家村の将来に大いなる期待をしたい。
◆金がかからず即実行できるものはごみ収集・分別。桜の周りの整備・名札整備・菜の花植樹・ベンチ椅子の設置少しでも一人でも花を愛でる心を持ってもらえるように仕向け桜咲く里を観光地化していこうではないか。それにしても植林の済んだところは手が行き届き整理されていたのには感心させられた。蒋緑化委員長、謝謝。翌日は分家した村を訪ね、お昼をご馳走になり、嘉禾県へ、朝ここで眼鏡を紛失、眼鏡を新調しようか、無しで帰国、と決め行動開始。朝の路上ラーメンが絶品、店とも言えぬ店で昼も食す。翌日は広州へ。
◆李さんの地元ゆえバスに乗って案内してもらう。広い住宅資材の展示場や、彼女の自宅マンションも見せてもらいお茶を頂く。広い3000戸の団地(皆5000万円クラスの完全警備の)勿論テニスコート・プール・ジム等々ばっちりの高級住宅街。暫く歩いてやっと朝食に『四海一天』ありつけた。楽に1000人位収容の舞台付きの大ホール、なんとここは『飲茶』でお昼までゆっくり朝食を楽しむんだって、そして李さんのママ、楊さんが「ここの勘定は私が持つわよ」だって。なんと太っ腹なんでしょう。とてものんびりおいしく飲茶を戴きました。
◆今回も高級マンション内を丁寧に見学させてもらい、とても参考になった。そう広州の初日は李さんの運転で『ニッサンの新車』に乗せてもらったっけ。大都会をぶんぶん飛ばすのは怖かったけれど、私の心臓は我慢してくれました。ベトナムは苦痛があったのですが今回の中国は天候にも、メンバー?にも恵まれとても楽しく旅行できました。成長著しい大宮透さん、元気で真直ぐな込山さん、暖かい須田先生、ガンガン伸びる高岸さん、蒋家村を背負い面倒見る熱血漢 蒋雄軍さん大変お世話になりました。
◆帰国後、疲れからかまたこの半月体調不良、咳と痰が止まらず、声もかすれガラガラこの状況になると又体力の自信がなくなる。いつまで愚図な状況に浸かっているのか。もう少し呑気に遊び同様仕事も楽しくやりたい。そうすれば愚図愚図せずに皆さんにも喜んで貰えるのになー。今日5日は孫の万次郎の卒園の発表会、歌に、朗読、体操と心配しながら応援したがどうしてどうしてしっかりとよくでき頼もしく感じた。もう4月から小学校、先ずは体力をつけ、誰にも可愛がられる子供になって欲しい。万次郎ガンバ。
◆今回は大発展の都会と、まだ陽の当たらない寒村の大きな格差を感じたツアーとなった。  以上。
2017年3月5日 22時50分書き終える
広田 誠四郎
  


Posted by 広田 誠四郎 at 17:36リードプランニング

2017年02月18日

《ホーチミン・ダラット報告書》

◆2月に入り、日が伸びたがその割に朝は早くなっていない。自宅の河津桜ももう蕾を膨らませ開花準備に忙しい。1月はリハビリ通いが9回・14日定期の診察・17日負荷実験他・ベトナムに5日間と快調に過ごせた。診察結果は良を戴いたが、チョット調子ついて張り切りすぎると心臓が痛く、眩暈がくる。ベトナム旅行中に3度ほど痛みがきた。心臓のせい・糖尿のせい?やはりまだまだ本チャンには程遠い。自然は巡り、春は毎年来るが、私は一足早く1月22日〜26日迄南ベトナムの春を楽しんできた。
◆ホーチミン市から250㎞のダラット市を初訪問。藤和グループ(駒井實代表)の日越桜第3回親善ツアーに参加、総勢60人強だが駒井さんは体調不良で不参加。単独申込だったが三浦敦朗・大井田健一・鳥羽親彦社長の倫理仲間3人と偶然同行。ダラットは標高1500m、軽井沢の様な避暑地だそうだ。如何にもフランスっぽい街並みと雰囲気、早速散策に、高い建物は少なく、空気は澄み少し肌寒かった。ホテルから中心にある人造湖まで往復5㎞を快適に歩く。路地裏でもいつものハノイとは全く雰囲気は異なる。
◆夜は県副知事・市長・病院長他多くの要人参加での歓迎レセプション、歌・楽器・踊り等賑やかな宴会となった。このツアーを組み、日越両国の医療・介護などの医療・文化交流を促進し、より濃密な関係を創り出す。素晴らしいアイデアと実行力に改めて敬服させられた。さてこの会の名前『桜プロジェクト』の植林現場は例の湖畔、3年前からこの地において植林を始め、多くの桜咲き乱れる観光名所を目指す。そこに石碑が建っていたが「HIROTA JYUTAKU CENTER」も刻まれていた。私は少額寄付をしたっけ。
◆ホーチミンに戻って、多くの人は特別ツアーに出掛けたが三浦さんの親友 大門アクティの中田さん(現地工場経営)の案内で白エビの釣り堀での釣りを楽しみ、食して、テト(旧正月)の華やかなイルミネイションが輝く中今度は「おふくろの味 ますお」。小学校時代からの友人が経営、私は2度目。元気な夫婦少し若くなったようだ。翌日、午後はテト休みというのに運転手や守衛を出勤させて工場を案内してくれた。叉高級住宅地の自宅までも案内してくれ、私のベトナム半住生活の夢をそそってもらった格好になった。
◆その午前中は最大の出来事が。QUE HUONG CHARITY CENTER viet nam red crossを訪問、孤児院だ。学園長は49歳の女性、創立16年で現在340人の子供を面倒見ている。1か月前に園の前に捨てられた生まれたての赤子・混血の肌の黒い・白い・身障者・幼児・小・中・高・中年・年寄りまで給食も学校も、多くの外国のボランティアの青年たちの手伝いも含めて運営されている。あの現実を面の当にして私の心は大きく揺れた。是非近々に再訪し園長に会って話を聞き、何ができるかを模索したい。
◆話は変わるが、今私は「鐘の鳴る丘」2代目品川園長にビジネスでお世話になっている。きっとホーチミンのこの園をご存じだろうが是非このお話をして私の方向性の指導を受けたい。今の品川さんにお会いし感激したけれどきっと先代品川創始者はもっと迫力のあった方だったんだろうなと想像。そしてこの園のHUONG TIEU HUYNH園長さんもきっと同じような立派な人だろうと想像した。彼女は両親に乱暴され、逃げ、勿論学校など一度も行かず、無宿生活の中からこの施設を造ったという。今月中に品川さんに会おう。
◆この施設はベトナム赤十字が全面的にバックアップ。まさか今回のツアーで「孤児院」「赤十字」が出てくるとは、私はただビックリ、中田さんが私にこの2つを謎かけしたのかと私は悩む。取り敢えず、私が出来ることはゼロである。今やっている事をもっとしっかりした組織にする事だけ。他の事には振り向かず『中国植林』『ベトナム里親の会』のみに集中する。ただ「孤児院」の思想・手法は勉強せねばならぬ。そうだ『日本赤十字有効会』を忘れていたっけ、多く手を出しすぎは、良くないよね。そうだそうだ。
◆今月はベトナムでの話に終始。それだけ多くの感動を戴けた旅でした。『里親の会』もそれなりの感動を貰えますがーーー。2月は寒さも、雪もまだまだこれから本格的に襲ってきます。11日から中国湖南省で植林現場の視察です、どの位の林になっているか、村民としっかり交流してきます。今の時期、未だ厳寒の時もある様なのでせいぜい心臓を大切にしてきます。お互い寒さに負けずに頑張りましょう。来月は『蒋家村報告書』をお楽しみに。おやすみなさい。

2017年2月4日21時書き終わる
広田 誠四郎

  


Posted by 広田 誠四郎 at 20:14リードプランニング

2017年01月11日

《謹賀新年・炭のパワーは永遠です・やればできる》

◆謹賀新年、珍しく初日の出を見逃す。起床後20分ばかり散歩、朝風呂に入り、信子、金次郎と年の初めの挨拶・屠蘇を交わしおせちで朝食。少し遅れて健太郎・史恵・凜太郎・万次郎が加わり賑やかに、その後健太郎親子は史恵の実家に挨拶に。暮れに実父を亡くし嫁のお母さんも、嫁も慌ただしい毎日を過ごし疲労困憊、ゆっくり休んで欲しい。私は12時から田町顔合わせ・駅前だるま市・墓参と移動し早めに帰宅。だるま市は鐘や太鼓・三味で人集めは成功?だが、正月らしさは今一つ感じられなかった。
◆さて私の今年の目標は1まずは健康 2体重は72㎏以下 3リハビリ週2回 4早寝早起き 5即行即止 6素直 7整理整頓 8無償奉仕 9挨拶 10時間厳守 の10項目。あまり気張らずに呑気に実行を目指そう。やっとこ、体調も回復してきた。普段は仕事に励み、少しは自由な時間を楽しめるよう頑張ってみたい。1月22日ー26日ベトナム初めてのダラットに2月11日―15日3年ぶり中国湖南省へ出かける。現地での植林作業はまだ無理だが状況確認・企画・親睦程度なら問題なしであろう。
◆暮れに届いた幾つかの会報に、心揺さぶれる文が目についた。まずは「くまもり通信」川嵜實支部長の「故宮下正次顧問への追悼 炭の力を信じて」。宮下氏のご高説を聞いた川嵜氏は、10数年で深く宮下理論の実践をして各地の松枯れを防いだ。宮下顧問の研究指導に感謝しご冥福を祈る、と同時に川嵜氏の益々の活躍を期待したい。次は「さばく53号」。日本沙漠緑化実践協会の機関誌は近年、内容がより充実の感あり。発足当時の思い出から若い人の真剣に緑化に取り組む姿勢に感銘を受ける。少しく私の緑化活動の原点となる沙漠談義を。
◆遠山征瑛先生の「第1次中国沙漠開発日本協力隊」91年7月「広田住宅センター」の社員、平松義晴・後閑靖代さんも動員8次隊迄参加したが、1年強で遠山の親父と意見相違が生じ、我々は「地球緑化センター」を設立「実践協会」と袂を分かつ。暫くは疎遠であったがなんと「倫理法人会」で「実践協会」と接触、懐かしさのあまり2度訪問。そんな訳で中国通いは延々と続き内モンゴル沙漠、重慶の揚子江、承徳市の豊寧などへ私は都合40回強、訪中したが、ここ3年は病気と中国の強い姿勢?で凍結。
◆その「日本沙漠緑化実践協会」の会員も、植林活動の参加者も、寄付も減少、財政が厳しいと。更に世界の経済大国になった意地悪中国になんで我々が植林の手伝い、オカシクナイ?との声が、多いのも確か。でも一度でも沙漠で穴を掘り、木を植えた人はその時点で、その木が育って欲しいと素直に願っていると思う。どこに線が引いてあるのか、同じ地球だ。また、植林現場で村人や中国学生達と一緒に作業をし、心を通じ合えた感想は、皆良い人ばかり。そんな文面から私は思い、祈る。若い人達の心に≪地球は一つ≫が根付かないかな、と。
◆久し振りの訪中に今、わくわくしている。蒋家村は4回目、蒋雄軍さんは村の人達のカンパで日本留学・高崎経済大学で大宮登ゼミに所属。在学中から『日中友好桜プロジェクト』の私案を先生に相談、彼の熱意が先生を、周囲を動かし10年間の活動となった。今や禿山は緑に覆われ、果実も沢山収穫でき、小動物も棲息し、計画的農業に励み、生活も大分余裕が出てきた様子。大宮先生の物心にわたる強力な支援がおおきな成果をもたらした。素晴らしい≪故郷に錦を飾る≫≪師弟愛・日中交流編≫物語はまだまだ続く、そして第2ステージに。
◆今年は暖かな正月でスタートでき、良かったですね。私も倒れてから2年強、何とか周囲の手助けで仕事にも復帰でき、今、自分は幸せなのだと思う。取り敢えず、後遺症もなく、無理はできぬが普通の生活を楽しめる。あと何年持つかわからぬが、きっと逝く時は一発で逝き、妻子に手を煩わせぬであろう。大体、死に方もわかってきた。さあ、あとは13年間でしっかりと終活整理してゆけばよい。年頭においてゆっくりとこれからの『生き方』と『終い方』を考えることが出来た。感謝しまーす。
2017年1月1日 広田誠四郎 記
  


Posted by 広田 誠四郎 at 18:38リードプランニング