2004年07月23日

『毎日 暑いですね』

◆7月2日―6日 中国ビジネス研究会の研修旅行で東莞市の太陽誘電、三洋電機、上海市の鹿島エレクトロンの各工場、蘇州高新区経済発展局、上海工商外国語学院を訪ねる。ここ10数年同じ中国でも沙漠や農村地域には通っているが、今回訪問したところ全てで町や工場の規模の大きさ、迫力にただただビックリさせられた。現地では『人も電気も水も十分確保され,受入体制OK,是非工場進出を』と話していたが。経済を優先するのか、環境をとるのか厳しい状況にあることだけは間違いない。こんなに地球をいじめないと人類は生きていけないのか。私は中国の現在の発展ぶりに大いなる疑問を感じた。
◆7月19日「群馬市民大学講座」の暑気払い。県庁裏のレストランで井田信夫学長を囲んで2時間半楽しんだ後、高崎まで歩く。7時50分スタート、利根川べりで流れの音、ライトアップされた2つの橋や桜並木の光景に酔う。8時20分新前橋、ヤマトの気温表示板は30度,暑い。またヤマト、秩父セメント,関電工、三光工業と続く道路は市の予算がないのか歩車道の整備が望まれる箇所である。8時38分一休前で最終バスを見送る。高崎に入り、ナイスの東側は歩道がなく、さらに大きな木が蔽っているので通行人や、自転車にはとても危険。そのすぐ南の井野川に入り込む川端では久しぶりによい川のにおいを感じたが井野川橋には街灯がない。10時10分江木町の自宅着。足は痛いし、豆もできた。7月通算で161,234歩、県庁―自宅は12,734歩と万歩計は示してくれた。日本地図をつくった『伊能忠敬』の偉大さを改めて感じた歩きでもあった。

2004年7月23日 広田 誠四郎書く  

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2004年07月01日

『これベトナムの子に』

◆高崎周辺の田圃の田植えは漸く田に水が入りここ2,3日でやっと終了の感がする。おそらく全国の中でも田植えのもっともおそい地域であろう。越後の米どころなんぞは5月の連休にはもう、とうに田に水が入っているのに。高崎の田圃は〔長野堰〕によって水を供給、充たされている。普段は〔から〕の長野堰がこの時ばかりは音を立てて流れ、各地の田を潤してくれる。今年は梅雨が早めで、台風が例年より数が多いといいながら今のところ意外とすっきりとした毎日が続く。このまま湿気が少ないまま秋まで往ってしまえー。         
◆街中の大通りには8月の〔高崎まつり〕のちょうちんが下げられいよいよ夏本番の雰囲気が感ぜられる。そんな中、田町も少しずつ変化している。私の事務所の前の旧山田屋さんのビルはカラオケボックスになるという、その1階は駐車場に。私の隣地の吉井さんと星野さんの跡地も解体が始まりその後は駐車場になるという。高崎伊勢丹跡地は駐車場を廃止。町はよく動いている、店も変化しているが、さて今後さらに地盤沈下していくのか‽ 
◆明日2日から4泊5日で〔中国ビジネス研究会〕で東莞太陽誘電、東莞三洋の半導体、上海市のビクター、鹿島エレクトロニクス‽などの視察に。1997年の返還前の香港にはマカオで遊ぶのによく訪ねたがそのときの東莞のイメージはまったくの田舎町、それが今や大都会とのこと。東莞駐在の経験をもつ倉林登志夫君情報では今回引率していただける旭重男さんが立ち上げ、150人の従業員がいまやその30倍以上とのこと。どんな町なのか初めての東莞に非常に興味を感じる。倉林君は中央小、2中の同級生、更なる活躍を期待したい。
◆『今は亜熱帯の真夏、湿気が多くとても暑いぞ。』倉林君のアドバイスをうけてできるだけの軽装でいこう。今午後10時この駄文を書き上げて帰宅して旅行の準備。いつもの砂漠や重慶での植林ツアーの中国とは違う心ウキウキするものがある。久しぶりの上海、初めての東莞でおいしい料理を食べ大いに楽しんでこよう。
◆2004年9月入学の〔ベトナム教育里親の会〕は新会員50名に例年になく早く達した、1学年50人募集の体制になって5年目。今年9月からは50人×5学年⁼250人、これもこのコラムを読んで会員申し込みいただいた方はじめ多くの方の理解により成り立っていることを最近より感じている。特に嬉しかったのは6月のロータリーの例会で食事をたべ終えてテーブルで雑談をしていると、後ろから肩をたたかれた。ふりむくと『これベトナムの子供に』と7200円の現金を私の手に、それは半田由明君。
◆半ちゃんはビジネスでもお世話になっているし、5年前に私の会長のときの幹事さんでお世話になった人。『今度、中国に』とか『ベトナムに行ってくる』とかは言うが、またこの欄でもこうして毎度〔ベトナム〕について書かせてもらっているが、聞かれれば答えるし話もするが私から面と向かってお願いはしていない。故に周りの人がどう感じているかは私にはわからない。『今度、入ってやるよ』でもなく、半ちゃんの何も言わずに『これーーーに』。嬉しかった、そしてジャスト50人目の会員さんでもあった。
◆6日に帰国、7日は〔三四の会〕。平成3,4年高松中ptaob時代の小野関千枝子校長を囲む会。1年に1度、3と4を足して7.七夕の日に集まろうで7月7日の7時。帰ってきた翌日からハッスルしすぎることなきように自粛。と言っている最中にメールがはいってきた。どうも何処へいっても休むことなく動きまわるようになっているらしい。7月5日の夜に上海工商外国語学院の教授が『夕食をご一緒に』とのこと、名前も存じ上げない教授だがご招待を喜んで受けてこよう。次号でその様子を報告します。では再見。  

2004年7月1日 広田誠四郎 急いで書く             

Posted by 広田 誠四郎 at 18:00Comments(0)TrackBack(0)リードプランニング