2005年10月24日

『金の卵を生み続ける中国、半分も水が貯まらない北京の水がめ』

◆9月24日―28日ハノイ市小学生奨学金を届けに,10月6日―11日は承徳市豊寧県での植林に参加。ハノイでの事は別紙『リード248号10月6号』に掲載済。今回は植林の事を。
◆北京市の砂漠化を防ぐ『第九回豊寧緑の親善大使』プロジェクトは、妙義山の風景に似た地域(その10倍位)の河川敷きが現場。今回は楡とサージの苗を交互に植え、真っ青の空と帽子山の色合いの中に身を置き、秋を満喫し、汗を充分流し、疲れた。『アーいい気持ち』
◆豊寧は田舎町、でも驚いた。夜、食事後、町の食堂でビールの飲み直し,9時過ぎ勘定をして外に出ると,なにやら若い人たちが続々と自転車で移動し始めた。「隣りは工場?」「いや中学校だよ」「なんだい、これは?」「大学受験の補習がハネたところだよ」1学年2000人が3学年、6000人が交代で補習に出てきているという。1人っ子政策の影響か。
◆中国の子供にかける親の意気込み,子供達の競争心に煽られて、巨大中国はどこまで伸びていくのだろうか。北京への帰路、密伝タダムに寄る。ここ数年毎年,下がっていた水位が今年は久しぶりに雨が多く2m上昇との事。ここが北京の水がめの1つ、膨張する中国の水、電気、ほかとても心配だ。『余計な心配はご無用』ならばよいのだが。

2005年10月24日(月)5時半書く 広田 誠四郎  


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2005年10月06日

〓『第10回訪越団のハノイ訪問記』〓

※文中敬称略あり

■今月は『ベトナム教育里親の会』のお話、9月24日−28日まで奨学資金を渡すためハノイ市を訪問。メンバーは樋口守夫(中央病院)、三浦厚朗(エイエムCO)、菅家利一(ぐんぱつ)、佐藤正雄(税理士)、平塚容子(薬剤師)、石黒生江(看護士),罍明代(看護士)と私の8人。現地で日部曜子、叔父の広田弘之とその息子 健二夫妻と合流。
■成田の出発ロビーであのアニマル浜口軍団と一緒になった。ブダペストのレスリング世界選手権に参加のための搭乗前のひと時、あの浜口京子ほか多くの選手がテレビカメラや旅行者ファンに囲まれロビーは大変な賑やかさ。私もアニマルとハイ ポーズ、快くカメラに向かってくれるアニマルは日本レスリング協会の動く広告塔、他の選手たちも各所で多くのカメラの被写体になっていた。最後は「き、あい だー、き あ い だーーー!!」のコールがロビー中に響きわたっていた。懸命にファンサービスにつとめながらのかの地の大会での各選手の活躍は、帰国後の報道によればメダルラッシュに沸いたようだ。でも残念ながら『京子ちゃん』は銀メダルに終わってしまった。
■今回も香港経由のハノイ行き。夕方 ハノイ市教育養成所国際課のひげのビンさんと通訳のビンさんの出迎えをうけ、小1時間でプール付きの5つ星DAEWOO HOTELに到着。私は樋口さんと同室、初日は静かに2人で12時まで飲んで就寝。
■25日は1日観光。トンキン湾には台風7号の影響で船が出ないとの情報でハロン湾観光から急遽『陸のハロン湾』に変更。ハノイから西に150キロ、初めての王朝が出来た場所でとてもローカルな雰囲気を楽しんだ。そして手漕きのボートで標高差のない河をのんびりと往復、恐らくその河全体では300とか500艘のボートが浮かんでいるものと思われた。岩盤のトンネルを通ったり、橋のアーチをくぐるのにボートに伏せたり、1艘しか通れないスペースに30艘、40艘のボートが集合して我先にと先を争う。
■この風景はとても印象に残った。あれだけの数が集まっても油のにおいややエンジンの賑やかさなど全くない。こんな風にして自然を残せたならば最高の観光である。
■26日朝いよいよ本番、ハノイ市教育養成所を訪問し250人分の奨学金を手渡す。学校と家庭を訪ねる。今回は9月小学校に入学した1年生4人のみとの面会。まず健二君の里子ハアーちゃんも、正雄先生の里子も共に両親がなくおじさんが面倒みている。
■27日の生江さんの里子の両親は2人とも全盲、お父さんが午前中に楊枝を削り、作って、午後、販売に歩き出す。明代さんの子供トン君も1歳半の時、お父さんがラオスからの仕事帰りに自動車事故に遭い死亡。お母さんと2人暮らし。少し慰めると目にいっぱい涙をためトンちゃんを抱きしめながら見送ってくれていた。
■9度の経験でも今回の子供たちは揃って最も厳しい貧困生活を送っている感じがした。声を掛けるのも気の毒で暗い感じに。ゆえにトン君の学校の校長先生に「この学校に他の奨学生がいますか」聞くと「ハイ 3年生のロン君がいます」授業中にも拘らず私たちの前にすぐ連れてきてくれた。1年生は皆緊張していて余裕がないが3年生にもなると『貫禄』がでて笑顔も出ている。とてもよい子。
■ロン君のお父さんは聾唖者だが、「僕は将来兵隊さんかハパイロットになりたいです、数学が得意です」としっかりと返事ができた。私は「オジサンたちはロン君の歌が聞きたいな」少し考えて『ホー爺さんの唄』(ホーチミン爺さんを称える唄)を上手に歌ってくれた。
■帰国して名簿を確認、ロン君は玉村町在住の川端治美さんの里子である。この方は確か労使会館の喫茶『茶々』の高見澤ママの紹介で入会してくれた人で私はまだ面識はない。予定していない子供に会えてなにかこの奨学金事業の、奥行き、手応えを初めて感じることができた。この私の小さな喜びを会員の皆さんにお伝えしたい。
■6日〜12日まで承徳市での沙漠植林。11月の重慶の反日感情が強いとの事で今回は中止、そんなことないのになー。さあ今年最後の植林張り切って植えてこよう。再見。  
       
2005年10月6日 午前1時 出発前の広田 誠四郎 書く  


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