2008年09月27日
<<盛岡で[感動]してきまーす>>
◆明日20、21日は岩手盛岡の第7回『感動大学』に参加する、倫友〔倫理の仲間〕の宮坂政宏、渡部恵知子、三浦敦朗、茂木光男さんと私の5人で。このセミナーは又川俊三師匠[私が勝手に師匠とよぶ]が主催、経営する会社の社員研修会なのだがこれが素晴らしい。氏は倫理の冨士研修所や沙漠でご一緒した仲間でもあるが私の人生・物の見方を変えてくれた大切な、有り難い人生の師匠である。
◆『マニラ育英会』の村田知己氏には大きく心を揺さぶられる。ご自身の体調の方が心配なのに、マニラの子供たちのお世話役に徹する。こんなに凄い男がいるのか、又明日、会える。昨年は『日本熊森協会』森山まり子氏の講演、これがきっかけで地球倫理大賞を、氏は受賞できた。今年の講師は、小田全宏、中村功、鳥濱明久、村田知己氏らそうそうたるメンバー。楽しい充実した2日間となるであろう。
◆『陽転思考』の小田氏は言わずもがな。東日本ハウスの中村氏の幅広い事業活動、特に環境、水問題にも貢献をとの行動に注目したい。今回の目玉は鳥濱氏、知覧町の鳥濱トメさんの孫、特攻の母と呼ばれたトメさんを語る。私はまだ知覧に行ったことがない。きっと氏の話を聞けば、すぐにでも行ってしまうことになりそうだ。そんな気がする。
◆私は倫理法人会に入会して8年目、多くの出会いを頂き、積極的に行動することで更に世界は拡がる。初めて『感動大学』に高崎から5人ものメンバーが行く、各々の『感動』は勿論のこと、きっと少しは高崎にも『感動』を持ち帰り周囲の人にお裾分けできたらいいなと思っている。台風と一緒に北上します。美味しい『盛岡冷麺』を頂いてきまーす。以上。
2008年9月19日(金)朝9時半 広田 誠四郎 書く
◆『マニラ育英会』の村田知己氏には大きく心を揺さぶられる。ご自身の体調の方が心配なのに、マニラの子供たちのお世話役に徹する。こんなに凄い男がいるのか、又明日、会える。昨年は『日本熊森協会』森山まり子氏の講演、これがきっかけで地球倫理大賞を、氏は受賞できた。今年の講師は、小田全宏、中村功、鳥濱明久、村田知己氏らそうそうたるメンバー。楽しい充実した2日間となるであろう。
◆『陽転思考』の小田氏は言わずもがな。東日本ハウスの中村氏の幅広い事業活動、特に環境、水問題にも貢献をとの行動に注目したい。今回の目玉は鳥濱氏、知覧町の鳥濱トメさんの孫、特攻の母と呼ばれたトメさんを語る。私はまだ知覧に行ったことがない。きっと氏の話を聞けば、すぐにでも行ってしまうことになりそうだ。そんな気がする。
◆私は倫理法人会に入会して8年目、多くの出会いを頂き、積極的に行動することで更に世界は拡がる。初めて『感動大学』に高崎から5人ものメンバーが行く、各々の『感動』は勿論のこと、きっと少しは高崎にも『感動』を持ち帰り周囲の人にお裾分けできたらいいなと思っている。台風と一緒に北上します。美味しい『盛岡冷麺』を頂いてきまーす。以上。
2008年9月19日(金)朝9時半 広田 誠四郎 書く
2008年09月16日
《楽しい毎日を有難う》
(文中 敬称省略)
◆8月29日~9月2日、第3回桜プロジェクトで中国湖南省藍山県太平郷蒋家村に。高崎経済大学教授の大宮登団長以下7名で植樹のための調査を進める。小雨降る中、我々と村長、緑化委員長、蒋君の父親の10人で、村中を視察、急峻な山の現場にも登る。3月に村民が植えた小さな松苗1万本は、生い茂る草に隠れながらも殆どが活着、とても成績良好である。
◆この勾配の山にこれだけ植樹するのはかなりのきつい作業であったと思う。植えられた松は石山にしっかりと根をはって欲しい。50年前までは、松や、桐、楠など多くの大木が山を覆い、猪や鹿、兎など動物も沢山棲息、が国家号令で伐採した後はずーと禿山のまま。そこでこの村出身の留学生、大宮ゼミ蒋雄軍の、耕作放棄の荒廃田畑や山に『桜』構想が稼動し始めた訳。
◆桜オンリーから桜も含めた樹種計画変更、その村側の強い意欲がこの元気に育つ『松苗』に充分感ぜられた。この小さな村の何処にそんなパワーが潜んでいるのだろうか。更に沢山の種類の木々を植え、果実がもたらす経済効果をも期待し、収入も、緑も豊かな村になって欲しい。前出の3人は全員とも蒋姓、ゆえに崇軍村長、祖雄委員長、祖平父親と名前で区別する。
◆前回は雪害で村全体が停電で真暗、古い祖雄宅に、今回は新しい崇軍宅に泊めて貰う。でも便所は古いシステム、3畳位の便槽に板が4枚掛けてある。汚いトイレは承知だが、何故かいつも便槽は『もの』が満杯、昼間はなんとかOKだが、夜が恐い。固定の板でないので不安定、大も小も、中々落ち着いて出来ない。一度便槽に落ちないと村民資格がもらえないかな。
◆朝5時半便所の先客は村長、それこそ「ニーハオ」と挨拶。これで『ニーハオトイレ』の体験!?。6時に、朝食のお迎え。奥さんが地元特産の菜『黄花菜』を炒めてくれ、あとはビールが出てくるだけ。村長と乾杯、朝飯前の一杯。私も呑んべーだが村長も相当な呑み助のヨーダ、でも2本で止めた。その後、山登りをして私は数回滑りそうになった。調子づいて飲んでいたら…。
◆蒋雄軍は新入社員ながら会社の休暇をとり我々を主導する。自分の夢を日本人の協力で実現すべく懸命である。10月4日ロータリークラブの地区のライラ研修で山本一太議員の後でゲスト講演をする。自らが広告塔となって植林活動の理解を求め、募金活動に励む、立派である。蒋君の奥さんと再会したがとても元気そうで良かった。彼女も今年中に来日できるといいな。
◆私は今年2度目の蒋家村だったが、静かな、小さな村に大変興味を感じている。ご一緒して頂いた初訪問の廣瀬節子、廣瀬高、金澤大作、柴田羽純の人柄が良かったのか、楽しいゆったりした旅となった。少し気になったのが、崇軍と祖雄の意見のズレ、感動したのは祖雄の熱く感謝する涙〔特に節子の3回の滑り転んだ雨中の健闘に・節子さんお尻のアザは大丈夫!?〕。謝謝。
◆9月7日 妙義グリーンホテルで中学同期会〔高崎2中昭和37年卒〕を開催。県内は勿論、遠くは札幌、仙台、村上、土浦、千葉、東京、埼玉、横浜、富士、浜名、京都の遠くから90名弱が集合、大盛会となった。伊藤佐喜子の司会、大須賀亮仁・茂木冨美代両恩師の挨拶、熊倉均の音頭で乾杯、賑やかな飲み会に旧交を温め。最後は塚越弘明の締めで散会。
◆「当時、高校進学もままならず、中学時代からアルバイトをしながら、いや通学しながら正規に勤めた」との話を佐々木孝吉から帰りの車中で聞く。田端正彦は今も『紋谷商店』に勤務する現役、47年間勤続とのこと。中卒で就職、どれだけの苦労、辛い事があっただろうに、その根性の一端でも聞いてみたい。改めて私は彼らに尊敬の念を抱いた。
◆今回は初の一泊を試みた結果、私は上記の様な収穫があり多くの友と話が出来て満足度の高い1日となった。2年後は日帰り、4年後は泊りの案が浮上。幹事会の打ち上げ会で次回日程を決めるとしよう。同室の諸橋雄一郎千葉よりご苦労様、先生、幹事ほか皆さん大変お世話になりました。
2008年9月8日〔月〕21時45分
広田 誠四郎 書く
◆8月29日~9月2日、第3回桜プロジェクトで中国湖南省藍山県太平郷蒋家村に。高崎経済大学教授の大宮登団長以下7名で植樹のための調査を進める。小雨降る中、我々と村長、緑化委員長、蒋君の父親の10人で、村中を視察、急峻な山の現場にも登る。3月に村民が植えた小さな松苗1万本は、生い茂る草に隠れながらも殆どが活着、とても成績良好である。
◆この勾配の山にこれだけ植樹するのはかなりのきつい作業であったと思う。植えられた松は石山にしっかりと根をはって欲しい。50年前までは、松や、桐、楠など多くの大木が山を覆い、猪や鹿、兎など動物も沢山棲息、が国家号令で伐採した後はずーと禿山のまま。そこでこの村出身の留学生、大宮ゼミ蒋雄軍の、耕作放棄の荒廃田畑や山に『桜』構想が稼動し始めた訳。
◆桜オンリーから桜も含めた樹種計画変更、その村側の強い意欲がこの元気に育つ『松苗』に充分感ぜられた。この小さな村の何処にそんなパワーが潜んでいるのだろうか。更に沢山の種類の木々を植え、果実がもたらす経済効果をも期待し、収入も、緑も豊かな村になって欲しい。前出の3人は全員とも蒋姓、ゆえに崇軍村長、祖雄委員長、祖平父親と名前で区別する。
◆前回は雪害で村全体が停電で真暗、古い祖雄宅に、今回は新しい崇軍宅に泊めて貰う。でも便所は古いシステム、3畳位の便槽に板が4枚掛けてある。汚いトイレは承知だが、何故かいつも便槽は『もの』が満杯、昼間はなんとかOKだが、夜が恐い。固定の板でないので不安定、大も小も、中々落ち着いて出来ない。一度便槽に落ちないと村民資格がもらえないかな。
◆朝5時半便所の先客は村長、それこそ「ニーハオ」と挨拶。これで『ニーハオトイレ』の体験!?。6時に、朝食のお迎え。奥さんが地元特産の菜『黄花菜』を炒めてくれ、あとはビールが出てくるだけ。村長と乾杯、朝飯前の一杯。私も呑んべーだが村長も相当な呑み助のヨーダ、でも2本で止めた。その後、山登りをして私は数回滑りそうになった。調子づいて飲んでいたら…。
◆蒋雄軍は新入社員ながら会社の休暇をとり我々を主導する。自分の夢を日本人の協力で実現すべく懸命である。10月4日ロータリークラブの地区のライラ研修で山本一太議員の後でゲスト講演をする。自らが広告塔となって植林活動の理解を求め、募金活動に励む、立派である。蒋君の奥さんと再会したがとても元気そうで良かった。彼女も今年中に来日できるといいな。
◆私は今年2度目の蒋家村だったが、静かな、小さな村に大変興味を感じている。ご一緒して頂いた初訪問の廣瀬節子、廣瀬高、金澤大作、柴田羽純の人柄が良かったのか、楽しいゆったりした旅となった。少し気になったのが、崇軍と祖雄の意見のズレ、感動したのは祖雄の熱く感謝する涙〔特に節子の3回の滑り転んだ雨中の健闘に・節子さんお尻のアザは大丈夫!?〕。謝謝。
◆9月7日 妙義グリーンホテルで中学同期会〔高崎2中昭和37年卒〕を開催。県内は勿論、遠くは札幌、仙台、村上、土浦、千葉、東京、埼玉、横浜、富士、浜名、京都の遠くから90名弱が集合、大盛会となった。伊藤佐喜子の司会、大須賀亮仁・茂木冨美代両恩師の挨拶、熊倉均の音頭で乾杯、賑やかな飲み会に旧交を温め。最後は塚越弘明の締めで散会。
◆「当時、高校進学もままならず、中学時代からアルバイトをしながら、いや通学しながら正規に勤めた」との話を佐々木孝吉から帰りの車中で聞く。田端正彦は今も『紋谷商店』に勤務する現役、47年間勤続とのこと。中卒で就職、どれだけの苦労、辛い事があっただろうに、その根性の一端でも聞いてみたい。改めて私は彼らに尊敬の念を抱いた。
◆今回は初の一泊を試みた結果、私は上記の様な収穫があり多くの友と話が出来て満足度の高い1日となった。2年後は日帰り、4年後は泊りの案が浮上。幹事会の打ち上げ会で次回日程を決めるとしよう。同室の諸橋雄一郎千葉よりご苦労様、先生、幹事ほか皆さん大変お世話になりました。
2008年9月8日〔月〕21時45分
広田 誠四郎 書く
2008年09月01日
≪愛車50CCと交通ルール≫
◆私は春から秋、雨天でない限り、50CCの原付自動二輪車を愛用。身体の割に小さいのに乗っているネとよく人から言われる。1年前、2万キロ走ったワインレッドのバイク、ヘルメットから、シルバーのバイク、ヘルに替わって登場した今のヤマハ。江木在住の小見博子さんからの贈呈品。これがとても具合良い、この1年間の走行距離4700キロ。
◆1日100キロを走る時も多い、市内は勿論、県内何処にでも飛んで行く。『交通事故に注意しろよ』のアドバイスも多くの人から戴く。過去バイクで大きく転がったのは2度ある、辛うじて受身をして大事には至らなかったが、恐さも充分承知をしているつもりではある。バイクの制限速度は時速30キロ、1度違反で切符を戴いた。嬉しい罰金だった。
◆だって簡単に40、50、更に60キロも出てしまう。30キロで走るのはきつい、だって50CC以外は60,70で後ろから追い抜いていく。後ろから煽られたり、車線を寄せられたり、クラクションで脅されたりとても恐い。歩行者、自転車はある程度の保護はされているが、原付バイクはまぎらわしい。皆さん、原付バイクはどこを通ればよいのでしょうか
◆実際の左脇の白ラインは途中で無くなったり、15センチ幅でそこでアクロバットで走りなさいとでも言うようなラインの引き方。一番恐いのがアスファルトのでこぼこ、穴、そして大きな交差点での原付二輪の右折法、どの交差点もまちまち、その標識を探すだけで恐い、是非ルール改正をお願いしたい。それこそ安心して50CCを楽しませて欲しい。
◆50CCに限っては弱者救済の原則から大きく後退している交通(道法)行政。是非バイクに乗ってその恐さを味わって下さい。その恐さから逃れる為に今年中に私は中型免許を取ろうかな。私は挑戦できるが、体力,年齢などで挑戦できない人も多い。だから多くの50CCバイクファンの為により良い環境を作って欲しい。交通行政に、道路管理者に感謝にお願いします。
以上。
2008年8月22日〔金〕よ12時50分 広田 誠四郎 書く
◆1日100キロを走る時も多い、市内は勿論、県内何処にでも飛んで行く。『交通事故に注意しろよ』のアドバイスも多くの人から戴く。過去バイクで大きく転がったのは2度ある、辛うじて受身をして大事には至らなかったが、恐さも充分承知をしているつもりではある。バイクの制限速度は時速30キロ、1度違反で切符を戴いた。嬉しい罰金だった。
◆だって簡単に40、50、更に60キロも出てしまう。30キロで走るのはきつい、だって50CC以外は60,70で後ろから追い抜いていく。後ろから煽られたり、車線を寄せられたり、クラクションで脅されたりとても恐い。歩行者、自転車はある程度の保護はされているが、原付バイクはまぎらわしい。皆さん、原付バイクはどこを通ればよいのでしょうか
◆実際の左脇の白ラインは途中で無くなったり、15センチ幅でそこでアクロバットで走りなさいとでも言うようなラインの引き方。一番恐いのがアスファルトのでこぼこ、穴、そして大きな交差点での原付二輪の右折法、どの交差点もまちまち、その標識を探すだけで恐い、是非ルール改正をお願いしたい。それこそ安心して50CCを楽しませて欲しい。
◆50CCに限っては弱者救済の原則から大きく後退している交通(道法)行政。是非バイクに乗ってその恐さを味わって下さい。その恐さから逃れる為に今年中に私は中型免許を取ろうかな。私は挑戦できるが、体力,年齢などで挑戦できない人も多い。だから多くの50CCバイクファンの為により良い環境を作って欲しい。交通行政に、道路管理者に感謝にお願いします。
以上。
2008年8月22日〔金〕よ12時50分 広田 誠四郎 書く



