2011年04月05日

《災いを転じて福となす》

◆3月11日の東北地震は津波・火災さらに原発事故を引き起こし、岩手・宮城・福島・茨城・千葉など被害は拡がる一方の大惨事。連日、壊滅状態・避難所での生活・放射能の解説など、テレビ・ラジオ・新聞は報道、東日本大震災と命名された。今後も生活・経済にどれだけの悪影響が重なるか、予想もつかない。多くの亡くなられた方々の御家族の皆様に、お悔やみとお見舞い申しあげます。

◆12日は地震による建物損壊やテレビ・電気・電話・水道・ガスの故障など私どもだけでも、アパート・マンションのお客様からの、クレーム電話が鳴りっぱなし。『いつ停電は復旧するのか・エレベーターは・ガスは』の問いに、私どもではなす術がなかった。その後、県外居住の大家さん所有の建物を点検し、異常の有無を報告。建物解体は2件のみで、大小の補修は大変な数にのぼる。

◆4月3日高崎神社春季例大祭で高井淨御宮司の挨拶は『大変だ・厳しいとばかり言っていてはいけない。この大きな試練をどう耐え、どう乗り越えるのか、日本人の底力を見せよう。助け合い、この試練をバネにして、本来のやさしい心が改めて芽生えるきっかけにしよう。子孫の為に、50年、100年後の復活を夢見よう。さあ大和魂・やさしい心で動き出そう』と、前向きの良い訓話だった。

◆長男健太郎は地震後いち早く復興支援に乗り出し20日と30日に皆さんからの義捐金・救援物資を現地に届けた。素早い行動に父親として拍手を送るが、只石君ほか指導・協力してくれる多くの友人により拍手を。現地の被災者のリーダーの人間性に触れて、生き方を教えてもらう良い機会にもなったようだ。ブログ《広田健太郎・高崎》できっかけやら、道中記が記されています。ご覧下さい。

◆話はガラリ変わって市長選の話。松浦市長に対抗すべく真っ先に手をあげたのは富岡賢治君、純粋に高崎市をさらに発展させるべく一歩を踏み出した勇気を賞賛。今もうゴール直前で他の2候補予定者に中々追いつけない、かなり接近できたがまだ弱い。やはり選挙を経験していないので組織が出来ていない。名前・(^_^.)が売れてない、会った人は意外と腰が低いんだねえ。と言ってくれるのだが。

◆中島あつしさんは豪快、猪突猛進型でリーダーにはうってつけ。父親からだと40年も「中島」を書き続けている人もいる。松本もとしさんはたかしん勤務後、市会議員に、温和で、礼儀正しい素晴らしい青年だ。父親の松本源治元区長会長の後ろ盾がとても大きい。この人の力が素晴らしい、周囲の人を引き付ける魅力の持ち主である。共に法政大学出身。誰が市長に一番ふさわしいのか。

◆富岡君は中曽根康弘・弘文親子に文部省時代になり、彼自身、福田だ、中曽根だ、自民だ、民社だとか関係なく広く誰とでも付き合う、仕事をこなす。今、何をすべきか考え、決断の早い行動で群馬女子大を全国から注目される大学にしたようだ。簡単に人の2倍、3倍の仕事をしてしまうようだ。だから私は2期やらせてもらえればよりよい高崎を作り上げますと言い切れるのだろう。

◆《サテライト》ラジオ高崎で富岡君のトーク番組を編集した本は彼の一面を知ってもらうには手っ取りばやい。?A教育と子供?Bキレる子供達?C全国屈指の大学に?Dボランティア活動?E愛するまち「ふるさと高崎」こんな目次が連なり、富岡賢治の考えがよくわかる。彼の感覚が理解でき、豊かな体験がきっと高崎をおしゃれな町に変貌させるであろう、内容の濃い読み応えのある本である。是非ご一読を。お電話ください。

◆それにしてもこんな社会に誰がした。と言わずに『さあ がんばろう』『これから俺たちが高崎を変えるのだ。群馬を、日本を。』他所も大変だが、高崎だって、どこだって放射能の影響で今より大変になる、何が起きるかわからない。生活を地味にしながらお互いがんばりましょう。質素倹約に徹し自然と仲良く致しましょう。高井淨御宮司の言われたことを今こそ実行を。

2011年4月4日午前11時半書き終わり
広田誠四郎   


Posted by 広田 誠四郎 at 19:38リードプランニング