2011年12月09日
《 今年を振り返って 》
◆もう12月、今年を振りかえってみると、本当に多くの事が起きた。まず仕事面での変化は、1月から不動産チェーン《イエステーション》に加盟、戸惑いを感じながら、月2回の東京本部で勉強会。私はみっちり仕込まれ頭の回転の悪さを自覚させられた1年でもあった。次男金次郎は札幌で3ヶ月弱修業、そして金沢・福岡・熊本・那覇〔全て仲間の会社〕での研修は、きっと彼の成長の基礎となると、期待したい。
◆震災での思い出を一つ。3月18日18時の予告停電、徒歩帰宅途中18時25分、遅れて真っ暗になった伊勢崎街道の江木十字路は信号が消え、交通渋滞でパニック。私は一人、交差点の真ん中に立って交通整理を。何の道具も持たずあわを喰いながら、10?15分経過後、自転車の30歳前後の青年が『手伝いますー』。7時15分大混乱も収まり、『もう大丈夫ですね』2人は汗を拭き拭き互いに『ご苦労様』。
◆車の光をたよりにした交通整理はとても恐かった。『懐中電灯が、ホイッスルがあれば、白いコートを着ていれば、』やりながら危険を感じ、そんな事を考えた。多くの人は私達の指揮に従ってくれ、無事終わった。多くの人・ドライバーに感謝の気持ちで一杯に、そしてあの礼儀正しいスマートな青年の助っ人に感謝。私は真っ暗な道を、コートを片手にとても清々しい気持ちで帰宅し、早寝をした小さな思い出。
◆あの日以来東京にすら、何ヶ月も出掛ける気にならなかった。出ても用事が済むと即、トンボ帰り、多くの人が同様だったようだ。岩手、宮城、福島の人たちは生き死にの問題で私達の比でない災難に遭っている。9月に宮城のほんの一部、海岸べりを見学、被災者のお話を聞かせてもらったが想像を絶する状態であった。恐怖に負けず、立ち向かう迫力・闘志に我々は大いに見習うべきである、見習いタイ。
◆今年は俳優・歌手の杉良太郎さんの情報が多く入った。国家は貢献大なる彼を「ベトナム日本特別大使」に任命。ベトナムでは全ての学校に〈ホーチミン・ホー叔父さん〉の写真が掲示されているが、ハノイ市内の学校では彼の写真も掲示されていた。知れば知るほど立派な人柄・人道的な行動に心うたれ彼に惹かれる。私はさらに彼について研究し、出来れば直接お会いして話を聞けるチャンスを作りタイ。
◆11月12日内村鑑三を語る講演会に出席。堤克政さんの頼政神社・鈴木範久さんの《後世への最大遺物》デンマルク国の話、2題を聞く。私が注目したのは100年前の内村鑑三がその50年前の荒廃したデンマークの復活物語を話してくれた事だ。フレデリック・ダルガス親子の話は絵本や書物にもあり、私も何回も読んでいる。鑑三は多くの若い信奉者の前で《最大遺物はフレデリックの植林》と講演した。
◆鑑三は開校2年目の札幌農学校のクラーク博士に直接の指導は受けていないが流石《農学校》出である。何故彼が《農学校》に進学したのか疑問が残るが。ダスカル親子の話から、次は鉄人ポール・ラッシュ先生の話に発展する。先生はYMCA・聖路加病院・立教大学・アメリカンフットボール・清里清泉寮・キープ協会・高校野球の甲子園再開・八ヶ岳開拓など最後まで日本に尽くしてくれた人。
◆先生が高冷地・荒地の清里を開拓、大変な苦労して素晴らしい清里村を作ってくれた。私は大学1年の立教キャンプで清泉寮に。後年、聖公幼稚園「現 高崎聖オーガスチン教会」斎藤章二牧師の運転手をして清泉寮の先生を訪ねた。車椅子の先生はとても優しく穏やかに話しかけてくれた。私は緊張してフットボールの事・小川徳治先生の近況を話した記憶はあるがーー。今思えばラッシュ先生に八ヶ岳開拓・キープ協会などの話を聞きたかったなー。その1年後訃報を新聞で見た。
◆12月3日《ドリームチーム新規農業参入祝賀会》に出席。元プロ野球選手の三浦洋さん他2名が群馬で野菜作りを本格的に始めた祝いの会。“日本の良さ”を求め、子供たちに野球を教えながら農業に励むという夢と希望。素晴らしい発想のプロ経験者。大きすぎる夢かもしれないがもち続けることで可能性がある。こころ無くして人生に栄冠なし・その夢を叶えタイ。《夢のチーム》ガンバ。
◆この1年で外観は大きく変り新事務所は目立ちませんが、駐車場はずっととめやすくなりました。この年末、今年の反省をしっかりし、何事にも早めの行動を心がけ、しっかりと高めの目標を作ってみたい。『広田の中身もよくなったねー』といってもらえるよう社員教育を、よりしっかりします。どうか来年も宜しくお願い申しあげます。1年間お世話になりました。どうぞ良いお年をお迎え下さい。
2011年12月4日〔日〕16時 12月号お仕舞
広田 誠四郎 記
株式会社 広田住宅センター 広田 誠四郎
リアルヒロ 有限会社 広田 信子
有限会社 広田不動産管理 広田 金次郎
須藤恵一・大沢園美・田中康祐・田中靖代・仲鉢三枝子・
立石薫・戸塚啓太・西畑義明・萩原夕紀・平野博司・
兵藤文男・丸山敏幸・山田恵理
◆震災での思い出を一つ。3月18日18時の予告停電、徒歩帰宅途中18時25分、遅れて真っ暗になった伊勢崎街道の江木十字路は信号が消え、交通渋滞でパニック。私は一人、交差点の真ん中に立って交通整理を。何の道具も持たずあわを喰いながら、10?15分経過後、自転車の30歳前後の青年が『手伝いますー』。7時15分大混乱も収まり、『もう大丈夫ですね』2人は汗を拭き拭き互いに『ご苦労様』。
◆車の光をたよりにした交通整理はとても恐かった。『懐中電灯が、ホイッスルがあれば、白いコートを着ていれば、』やりながら危険を感じ、そんな事を考えた。多くの人は私達の指揮に従ってくれ、無事終わった。多くの人・ドライバーに感謝の気持ちで一杯に、そしてあの礼儀正しいスマートな青年の助っ人に感謝。私は真っ暗な道を、コートを片手にとても清々しい気持ちで帰宅し、早寝をした小さな思い出。
◆あの日以来東京にすら、何ヶ月も出掛ける気にならなかった。出ても用事が済むと即、トンボ帰り、多くの人が同様だったようだ。岩手、宮城、福島の人たちは生き死にの問題で私達の比でない災難に遭っている。9月に宮城のほんの一部、海岸べりを見学、被災者のお話を聞かせてもらったが想像を絶する状態であった。恐怖に負けず、立ち向かう迫力・闘志に我々は大いに見習うべきである、見習いタイ。
◆今年は俳優・歌手の杉良太郎さんの情報が多く入った。国家は貢献大なる彼を「ベトナム日本特別大使」に任命。ベトナムでは全ての学校に〈ホーチミン・ホー叔父さん〉の写真が掲示されているが、ハノイ市内の学校では彼の写真も掲示されていた。知れば知るほど立派な人柄・人道的な行動に心うたれ彼に惹かれる。私はさらに彼について研究し、出来れば直接お会いして話を聞けるチャンスを作りタイ。
◆11月12日内村鑑三を語る講演会に出席。堤克政さんの頼政神社・鈴木範久さんの《後世への最大遺物》デンマルク国の話、2題を聞く。私が注目したのは100年前の内村鑑三がその50年前の荒廃したデンマークの復活物語を話してくれた事だ。フレデリック・ダルガス親子の話は絵本や書物にもあり、私も何回も読んでいる。鑑三は多くの若い信奉者の前で《最大遺物はフレデリックの植林》と講演した。
◆鑑三は開校2年目の札幌農学校のクラーク博士に直接の指導は受けていないが流石《農学校》出である。何故彼が《農学校》に進学したのか疑問が残るが。ダスカル親子の話から、次は鉄人ポール・ラッシュ先生の話に発展する。先生はYMCA・聖路加病院・立教大学・アメリカンフットボール・清里清泉寮・キープ協会・高校野球の甲子園再開・八ヶ岳開拓など最後まで日本に尽くしてくれた人。
◆先生が高冷地・荒地の清里を開拓、大変な苦労して素晴らしい清里村を作ってくれた。私は大学1年の立教キャンプで清泉寮に。後年、聖公幼稚園「現 高崎聖オーガスチン教会」斎藤章二牧師の運転手をして清泉寮の先生を訪ねた。車椅子の先生はとても優しく穏やかに話しかけてくれた。私は緊張してフットボールの事・小川徳治先生の近況を話した記憶はあるがーー。今思えばラッシュ先生に八ヶ岳開拓・キープ協会などの話を聞きたかったなー。その1年後訃報を新聞で見た。
◆12月3日《ドリームチーム新規農業参入祝賀会》に出席。元プロ野球選手の三浦洋さん他2名が群馬で野菜作りを本格的に始めた祝いの会。“日本の良さ”を求め、子供たちに野球を教えながら農業に励むという夢と希望。素晴らしい発想のプロ経験者。大きすぎる夢かもしれないがもち続けることで可能性がある。こころ無くして人生に栄冠なし・その夢を叶えタイ。《夢のチーム》ガンバ。
◆この1年で外観は大きく変り新事務所は目立ちませんが、駐車場はずっととめやすくなりました。この年末、今年の反省をしっかりし、何事にも早めの行動を心がけ、しっかりと高めの目標を作ってみたい。『広田の中身もよくなったねー』といってもらえるよう社員教育を、よりしっかりします。どうか来年も宜しくお願い申しあげます。1年間お世話になりました。どうぞ良いお年をお迎え下さい。
2011年12月4日〔日〕16時 12月号お仕舞
広田 誠四郎 記
株式会社 広田住宅センター 広田 誠四郎
リアルヒロ 有限会社 広田 信子
有限会社 広田不動産管理 広田 金次郎
須藤恵一・大沢園美・田中康祐・田中靖代・仲鉢三枝子・
立石薫・戸塚啓太・西畑義明・萩原夕紀・平野博司・
兵藤文男・丸山敏幸・山田恵理
Posted by 広田 金次郎 at 17:43
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