2012年04月12日

《 行きたかったなー甲子園 》



◆4月7日仕事の段取りを済ませ、今年始めての作業、観音山の竹林整備で汗をかく。そして帰りに長坂牧場内タンポポに寄り、ソフトクリームと飲むヨーグルトを求め、駐車場で食す。快晴の榛名・妙義間の山々、特に浅間山の白い冠は美しい。この景色を独り占めできるのが尚の事嬉しい。毎月、時間のある時、竹林整備後のこのコースが、私の贅沢な時間の使い方である。その後、剣崎・下豊岡で草刈りをして会社に戻り仕事に励む。
◆今年はいつまでも寒い、まだ高崎の桜は満開にならない。今年は去年の分まで桜を見タイ、楽しみタイ。桜といえば「第7回桜プロジェクトツアー」で3月3日?7日湖南省?家村と湖南大学に。村を挙げての大歓迎、今年は?崇軍村長が男達の先頭に立って、感動的な龍の舞を長時間踊ってくれた。夜は?祖雄緑化委員長宅に宿泊、寒さと重い布団が印象に残る1泊。この村の人は皆「?」さんで、?さん家ばかりの村が「?家村」なんです。
◆今19時半、「企画発案者」太田市の?雄軍君に電話をした、2週間の中国出張から今自宅に戻ったとのこと。現地情報では、まだ村には何本もない桜だが見事に咲いて村に沢山の見物人が来ているとのこと。さらに桜の本数が増えれば桜の名所で観光ブームを起こせるのか。雄軍君の夢が今大きく1歩を踏み出した。崇軍村長も祖雄委員長も大張り切りだろうな。?家村の隣村では梨の花を見に3万人が来たとの情報も付け加えられた。
◆第1回高崎経済大学と湖南大学との交流は高経大留学生 宋亜東君の健闘が目立った。徹夜で映像を、BGMを作り、日中両語の解説文字で大学と会の紹介をし、中国学生の理解を促した。湖南大学は創立1000年余の中国有数の名門で、大学構内は広く、日本語学科も医学部もある総合大学。大宮登高経大副学長は「高経も日本では東大・東北大等に伍す有名校です」と堂々とご挨拶。交流は、来年以降も続けられるようだ。
◆私の甲子園応援は1日だけ予定したが雨で流され、残念。神田昇・芹澤秀世・吉田賢二君の3人は田島建君の運転で楽しい修学旅行をしてきた話と写真を見せてもらう。球場写真には「新しい高崎」赤ジャンを着た中島和男君の顔もあった。建さん甲子園ビデオ有難う。川口在住の高橋貴君は夫婦で孫を連れて観戦していて足を骨折したとの事。何ででしょうかね?石田和男君、お土産「甲子園高高ストラップ」有難う。あーあー行きたかったなー。
◆実は私の甲子園行きには応援とアメリカンフットボールの大先輩 西宮の関西学院 米田満さんにお会いする目的があった。電話でお話を奥様としたが、孫の二男さんが丁度高高3年?で応援で関西に来ているのに会えないのですよとお話しされていた。先輩とのご縁はたまたま娘さん家族が田町のマンションに居住。長男さんは陸上部で私の後輩、大阪大学在学中。高高の生徒達も2度関西旅行ができたのだから羨ましいね。次の甲子園出場期待。
◆3月11日くいものや亮のライブはサックスの堤智恵子女性プロの演奏は凄く良い音を出していた。これは本物だ。23日マグカップカフェで伏田ライブ、いつもの伏田よりも格好良かったよ。29日すもの食堂ジョンジョンフェスティバル面白かった。60人以上の聴衆が詰めかけた。20日間で田町ライブが3回、いいね。一方「大滝」がオープン。奥さんも元気に復活、楽しい、おいしいお酒が飲める。待っていました。
◆高崎神社の崇敬会で高井浄御宮司のお話。貞観大震災と東日本大震災を比較しながら江戸時代までは「急がない文明」、明治時代から「急ぐ文明」に変え国力を富ませた。「稼ぐ文明」になったが戦争で負け、原発で全てを失う結果が今出てきているのではないか。素晴らしいお話だった。が、どうしても少しお話が長すぎて聞くほうが疲れてしまう、ようだ。別に講座を設け、きっちりお話しの時間を取ればよい、こんな良いお話が時間が足らなくて勿体ないと思うのだが。以上。


2012年4月8日(日)午前2時
広田 誠四郎 書き終える



Posted by 広田 金次郎 at 10:06

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