2012年06月06日

《 俺のやりたいことを少し整理しようか 》



◆4月末から咳が、痰が止まらなく、声がかすれ、寝込むほどではないが体調が悪い状態が続く。昨夜10時就寝、息苦しく眠れず、今6月2日午前2時、起き出してパソコンに向かう。書きたいことは山ほどあるのだが、不調ゆえ纏まらない。もっとも纏まらないのは毎度の事ゆえお許しを、でも書こう。この5月の連休も休みなしで仕事。桜プロジェクトのバーべキューや観音山の竹林整備に出かける元気なし。結構重症かな?
◆19、20日伊香保木暮で女房の親父、後閑周之介の88歳のお祝い。子供・孫・ひこ孫総勢26人が初めて一同に会した。山中和子姉夫婦も、後閑武彦弟夫婦も東京在住だが中々、私は会うことは少ない、ましてや甥・姪やその子達は尚更である。田中靖代妹夫婦とは毎日会っているが。車椅子の親父さんはこの2日は、終始元気で楽しく過ごせたようである。長寿の幸福・親子の連鎖を感じさせられた良い会であった。
◆27-30日家族7人で沖縄に。那覇空港近くのジョン万次郎の記念碑を見つけ参拝?案内板はなく、小さなものだが、いきなり孫・万次郎が主役に、健太郎夫婦も満足そう。美ら海水族館も凄いが、同敷地内にある郷土村で長老の王朝時代から通貨の5回変更体験や、他の苦労話を聞く。また親孝行や琉球魂「ていんさぐぬ花」の三線の弾きと唄を、そして歌詞の解説で感動を与えてくれたボランティアガイドの桃原夏子さんありがとう、感謝。
◆26日〔ベトナム教育里親の会〕総会。31日〔トンズーの集い〕県内ベトナム人留学生20人と、支援者13人が東遊日本語学校のホーエ校長を迎えて懇談会。校長は送り込んだ留学生達の勉学・生活ぶりの確認と喝を入れに来日。校長と山名の清水勇治先輩は新星学寮で生活を一緒にした仲。先輩とトリンヴァンヴィン君が世話役。言葉は全く分らないが、校長の説教を若者達は真剣に聞き、目がぎらぎらしていた。
◆トンズーとは東遊と書き〔東の国・日本に学べ〕日露戦争後小さくも強い日本から学ぼうと100年前から始まった日本への留学運動。中断した運動を21年前から復活させ日本へ過去600人強の若者を送り込んでいる教育者が70歳、東大出のホーエ先生。若者達に「日本は地獄だ。言葉も生活も大変。それでも行って、ベトナムのために学んで来い」20人全員その言葉を背負って群馬で学んでいる。ガンバ。私は南遊をしたいなあ。
◆私は中国の将雄軍君〔高経大・桜プロジェクト〕と上記のトリンヴァンヴィン君〔前橋工科大・教育里親の会〕という素晴らしい若い友達がいる。たまたまロータリー活動で縁があっての付き合いだ。彼らに彼らの友達を紹介してもらい新しい交際も拡がる。ただ私にもあまり拡げすぎて動けなくなってしまう不安がある。今までの行動のどれを捨て、どれを続けるかとても悩ましい。何たって仕事を優先せねばならぬしね。
◆何故今回悩むかといえば、私が中国植林事業にかかわったのが1991年からクブチ砂漠・モウス砂漠エジンホロ旗・重慶・承徳・湖南省の5地区。毎年平均3回弱どこかに出かけていったが。もうそんなには不可能、夫々の地域に思いはあるのだが。今集中せねばならぬのは湖南省将家村か。というのもホーエ先生の事業が91年からということは。全て切りたくはないが、私なりに大きな焦りを感じているのだ。
◆今月、富岡賢治市長の〔強・良運〕を書き出すはずだったが紙面が不足、改めて機会を見て記したい。しっかり体調を戻しバリバリ仕事にはりきりま-す。
2012年6月3日〔日〕22時10分書き上げ
広田 誠四郎



Posted by 広田 金次郎 at 15:27

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