2017年06月18日

《先輩・後輩・同輩の活躍は嬉しいね》文中敬称略お許しください

【同窓会】今朝の上毛新聞に高商40年卒同窓会写真。45名中女性が6名、写真には2中杉田健司・諸橋雄一郎・3中高木健次郎3名の友人の顔が。一方同期の高高組は昨日開催、31名と少なかった。でも五十嵐肇・木村明夫・清水幹雄・田島章・中島邦弘・中沢利之等3分の1が市外・県外からの参加。サッカー部中沢とは2年時の同組、部室は隣。15-6年間シンガポールでの生活から最近高崎に移住との事。久し振りゆえ顔も名前も分からぬ友も、良い機会なのにあまりに時間が少ない、改めて個別に連絡を取り旧交を温めたい。
【富岡賢治市長】高校時代は生徒会長、珍しく最初から最後まで付き合う。いつも忙しく働く彼の体の事が心配になるが『いやー少し血圧が高めだがいたって健康』、抜群のタフガイだ。山積する業務に立ち向かうあのファイトはどこから生まれるのだろうか。2期8年で終わるのか、将又?いずれにしろ今の高崎は元気がある。良い時代に乗っかっているのか、彼の指導力のお陰なのか、さーてどちら?そう言えば彼に県立女子大学長要請をし、高崎に縁を戻さしたのは故М県会議員だったけ。彼はお眼鏡に叶って活躍していますか?Мさん。
【高高120周年】この机の上に≪翠巒70・100・120年記念誌≫がある。70年誌は私が大学2年時の発刊。妻の実家(後閑周之介宅)から借りたもの、私の高校生時の先生方が編集委員、執筆者の多くは故人に。70年誌・100年誌(上下2巻)・120年誌の紙面には多くの思い出が、凝縮されている。私も同窓会・PTAの役員で学校に長く関わり水穴再喜・堀口康平・古川功校長先生方に特にお世話になった。現在の加藤聡校長も20年前は若手バリバリであった(今も若いが)。串田紀之同窓会長記念式典成功裡に終了、お疲れ様でした。
【安中の杉並木は母情を語る】井伊直孝って知っている?2代彦根藩主は安中・後閑の内堀家で生れ育った。『萩原源内兵衛の孫・萩原図書その娘沢子』沢子が直孝の生母である。箕輪城主井伊直政の寵愛を受け弁之助を生む、その弁之助が直孝となる。江戸から彦根に帰る直孝殿様、そして安中杉並木での大名行列の息子に会うべく直訴、叶わぬばかりでなく、「会わせろ」と行列の前に立ちはだかった老婆は、彦根藩士に斬り捨てられてしまった。と、約500年前の話。井伊直政の子 直孝の母の愛を語る 安中杉並木悲話を聞く。
【ベトナム・酒田等】5月20日1時半総会。9月新入生の里親25名の内15名決定、あと10名募集090-3147-7545広田まで。訪越参加者8名。この日11時重粒子線治療の勉強会・5時高高祝賀会。21日ホテルリッチ&ガーデン酒田に宿泊、5時起床自転車で散策イヤ散車?旧市街地の大火災の復興ぶりや残った街並みを確認できた。食事も美味しく、ゆったりバスで楽しい2日間を井上支店長・遠藤会長・市川顧問お世話になりました。是非復習をするために再訪すべき都市、また早めに糸魚川火災の跡地も確認の機会を探そう。
【デンマークからのお客様】私の第一幼稚園・中央小・第2中の同級生信澤幸男君の話。彼のお母さんは95歳、年に1度位事務所に顔を出してくれていたお母さん。先日『今幸男が日本に帰っているよ』の声で私はすぐに会いに行く。大学卒業してデンマークに渡り、結婚し外科医を定年迄勤め、今は年金暮らし。福祉の最先端を行く北欧の制度と日本のそれと比較・説明を聞く。因みに彼の父親は立教の馬術部で私の大先輩、高崎立教会創立時よく出席戴き指導を受けた。当時の馬上の恰好よい写真が飾られていた。おばさん有難う。
【5月の足跡】8日信澤君と再会・田町協議会・9日湯沢・10日赤高崎総会・11日成田町契約・RC・京目協議・12日片岡町精算・ベトナム会議・13日下豊岡協議・中村紀夫上毛掲載小説お祝いの会・14日境町物件確認・伊勢崎山王町協議・不動産コンサル相談会・15日あら町・貝沢町・前橋住吉協議・16日道又医院検診・あら町確認・貝沢・片岡挨拶・17日あら町・片岡町協議・床屋散髪・18日リハビリ・RC・田町協議・志史の会・19日プロバスクラブ・喜多町協議・20日21日22日上記・23日上並榎協議・日赤県総会・24日リハビリ・元総社お祝い・市民大学・26日上大島決済・昭和町契約・上里見協議・大木チェンバロ・常盤町協議・RCIМ・28日ごみゼロ・30日金古協議・リハビり・緑化協会総会・RCパスと会長会・31日緑町協議・6月1日リハビリ・RC・南林間・緑町・根小屋協議・2日上並榎協議・上記・3日中居・南陽台・昭和町協議 以上。≪同窓会月間?でした≫

2017年6月4日 広田誠四郎 記
  


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2017年03月09日

《中国湖南省蒋家村報告》

◆1か月前から咲きだした我が家の河津桜は今が満開。毎朝小鳥が争って花蜜をついばむ。暮れに枝を剪定したので花の量は少ないが早春の我が家の楽しみだ。1月のダラット市、2月の我が家、そして蒋家村と、今年は桜見物・愛でる機会が多い。それではその蒋家村訪問記の始まり始まり。第13回桜プロジェクト(高経大教授大宮登会長)で2月11日ー15日まで中国に。会長の代理は長男大宮透団長・元沢藤電機 込山精二部長・新島学園 須田幹生先生・高経大1年生高岸昌平さんと蒋雄軍さん・広田の6人で訪問。
◆羽田―広州空港泊―新幹線にてチェン州西―蒋家村泊―嘉禾県泊―チェン州-広州泊-羽田の行程。広州からは高経大4年の李ソウさんとお母さん楊鳳玲さんが案内に加わった、通訳は蒋さんと李さん。私は病気のため丸3年中国訪問は控えたが、新幹線駅前は高層住宅が文字通り林立。蒋さん曰く「あの時不動産に手を出しておけば大化けし大儲けしたよね」本当にその通り。蒋家村に通い始めた10年前に比すれば交通網の整備・スピード化・社会の高級化・富裕化・インフラ整備に只々ビックリ、あきれるばかり。
◆蔣家村では旧正月も重なり楽団・爆竹・村中の老若男女が恒例の大歓迎、村の入口では村長始め幹部の出迎え。昨年村長は脳梗塞を患い大分回復はしたもののマヒが残りまだ一人で歩くのがやっと。今年選挙があるようだがもう無理せず早く元気になって欲しい。人間いつ倒れるか全く分からない。今年も緑化委員長宅に世話になった。今年はまだ息子夫婦も里帰りで残っていて賑やかだった。集会所での歓迎会、翌日の植林現場視察と精力的にこなし『蔣家村の近未来について』村民と話し合う。世代交代を意識させられた会議でもあった。
◆人口860人の蔣家村①この10年間で若者は出稼ぎに都会に、人口減・家庭の崩壊②空き家が目立つ・村の外側に新築移転―古い家を放置―ここでも空き家対策?3百年4百年の歴史的建造物の保存は?③区画整理・植林計画・経済林・観光地化・駐車場の確保④事業予算確保⑤これら全てを推進するための学習・勉強会(現在も村の大人の8割が文盲―厳しいね)。⑥マナー講習会(分別も掃除もしない)今回は初めて青年たちが目立って発言、正月ゆえ30-40代が多かったのか。蒋家村の将来に大いなる期待をしたい。
◆金がかからず即実行できるものはごみ収集・分別。桜の周りの整備・名札整備・菜の花植樹・ベンチ椅子の設置少しでも一人でも花を愛でる心を持ってもらえるように仕向け桜咲く里を観光地化していこうではないか。それにしても植林の済んだところは手が行き届き整理されていたのには感心させられた。蒋緑化委員長、謝謝。翌日は分家した村を訪ね、お昼をご馳走になり、嘉禾県へ、朝ここで眼鏡を紛失、眼鏡を新調しようか、無しで帰国、と決め行動開始。朝の路上ラーメンが絶品、店とも言えぬ店で昼も食す。翌日は広州へ。
◆李さんの地元ゆえバスに乗って案内してもらう。広い住宅資材の展示場や、彼女の自宅マンションも見せてもらいお茶を頂く。広い3000戸の団地(皆5000万円クラスの完全警備の)勿論テニスコート・プール・ジム等々ばっちりの高級住宅街。暫く歩いてやっと朝食に『四海一天』ありつけた。楽に1000人位収容の舞台付きの大ホール、なんとここは『飲茶』でお昼までゆっくり朝食を楽しむんだって、そして李さんのママ、楊さんが「ここの勘定は私が持つわよ」だって。なんと太っ腹なんでしょう。とてものんびりおいしく飲茶を戴きました。
◆今回も高級マンション内を丁寧に見学させてもらい、とても参考になった。そう広州の初日は李さんの運転で『ニッサンの新車』に乗せてもらったっけ。大都会をぶんぶん飛ばすのは怖かったけれど、私の心臓は我慢してくれました。ベトナムは苦痛があったのですが今回の中国は天候にも、メンバー?にも恵まれとても楽しく旅行できました。成長著しい大宮透さん、元気で真直ぐな込山さん、暖かい須田先生、ガンガン伸びる高岸さん、蒋家村を背負い面倒見る熱血漢 蒋雄軍さん大変お世話になりました。
◆帰国後、疲れからかまたこの半月体調不良、咳と痰が止まらず、声もかすれガラガラこの状況になると又体力の自信がなくなる。いつまで愚図な状況に浸かっているのか。もう少し呑気に遊び同様仕事も楽しくやりたい。そうすれば愚図愚図せずに皆さんにも喜んで貰えるのになー。今日5日は孫の万次郎の卒園の発表会、歌に、朗読、体操と心配しながら応援したがどうしてどうしてしっかりとよくでき頼もしく感じた。もう4月から小学校、先ずは体力をつけ、誰にも可愛がられる子供になって欲しい。万次郎ガンバ。
◆今回は大発展の都会と、まだ陽の当たらない寒村の大きな格差を感じたツアーとなった。  以上。
2017年3月5日 22時50分書き終える
広田 誠四郎
  


Posted by 広田 誠四郎 at 17:36リードプランニング

2017年02月18日

《ホーチミン・ダラット報告書》

◆2月に入り、日が伸びたがその割に朝は早くなっていない。自宅の河津桜ももう蕾を膨らませ開花準備に忙しい。1月はリハビリ通いが9回・14日定期の診察・17日負荷実験他・ベトナムに5日間と快調に過ごせた。診察結果は良を戴いたが、チョット調子ついて張り切りすぎると心臓が痛く、眩暈がくる。ベトナム旅行中に3度ほど痛みがきた。心臓のせい・糖尿のせい?やはりまだまだ本チャンには程遠い。自然は巡り、春は毎年来るが、私は一足早く1月22日〜26日迄南ベトナムの春を楽しんできた。
◆ホーチミン市から250㎞のダラット市を初訪問。藤和グループ(駒井實代表)の日越桜第3回親善ツアーに参加、総勢60人強だが駒井さんは体調不良で不参加。単独申込だったが三浦敦朗・大井田健一・鳥羽親彦社長の倫理仲間3人と偶然同行。ダラットは標高1500m、軽井沢の様な避暑地だそうだ。如何にもフランスっぽい街並みと雰囲気、早速散策に、高い建物は少なく、空気は澄み少し肌寒かった。ホテルから中心にある人造湖まで往復5㎞を快適に歩く。路地裏でもいつものハノイとは全く雰囲気は異なる。
◆夜は県副知事・市長・病院長他多くの要人参加での歓迎レセプション、歌・楽器・踊り等賑やかな宴会となった。このツアーを組み、日越両国の医療・介護などの医療・文化交流を促進し、より濃密な関係を創り出す。素晴らしいアイデアと実行力に改めて敬服させられた。さてこの会の名前『桜プロジェクト』の植林現場は例の湖畔、3年前からこの地において植林を始め、多くの桜咲き乱れる観光名所を目指す。そこに石碑が建っていたが「HIROTA JYUTAKU CENTER」も刻まれていた。私は少額寄付をしたっけ。
◆ホーチミンに戻って、多くの人は特別ツアーに出掛けたが三浦さんの親友 大門アクティの中田さん(現地工場経営)の案内で白エビの釣り堀での釣りを楽しみ、食して、テト(旧正月)の華やかなイルミネイションが輝く中今度は「おふくろの味 ますお」。小学校時代からの友人が経営、私は2度目。元気な夫婦少し若くなったようだ。翌日、午後はテト休みというのに運転手や守衛を出勤させて工場を案内してくれた。叉高級住宅地の自宅までも案内してくれ、私のベトナム半住生活の夢をそそってもらった格好になった。
◆その午前中は最大の出来事が。QUE HUONG CHARITY CENTER viet nam red crossを訪問、孤児院だ。学園長は49歳の女性、創立16年で現在340人の子供を面倒見ている。1か月前に園の前に捨てられた生まれたての赤子・混血の肌の黒い・白い・身障者・幼児・小・中・高・中年・年寄りまで給食も学校も、多くの外国のボランティアの青年たちの手伝いも含めて運営されている。あの現実を面の当にして私の心は大きく揺れた。是非近々に再訪し園長に会って話を聞き、何ができるかを模索したい。
◆話は変わるが、今私は「鐘の鳴る丘」2代目品川園長にビジネスでお世話になっている。きっとホーチミンのこの園をご存じだろうが是非このお話をして私の方向性の指導を受けたい。今の品川さんにお会いし感激したけれどきっと先代品川創始者はもっと迫力のあった方だったんだろうなと想像。そしてこの園のHUONG TIEU HUYNH園長さんもきっと同じような立派な人だろうと想像した。彼女は両親に乱暴され、逃げ、勿論学校など一度も行かず、無宿生活の中からこの施設を造ったという。今月中に品川さんに会おう。
◆この施設はベトナム赤十字が全面的にバックアップ。まさか今回のツアーで「孤児院」「赤十字」が出てくるとは、私はただビックリ、中田さんが私にこの2つを謎かけしたのかと私は悩む。取り敢えず、私が出来ることはゼロである。今やっている事をもっとしっかりした組織にする事だけ。他の事には振り向かず『中国植林』『ベトナム里親の会』のみに集中する。ただ「孤児院」の思想・手法は勉強せねばならぬ。そうだ『日本赤十字有効会』を忘れていたっけ、多く手を出しすぎは、良くないよね。そうだそうだ。
◆今月はベトナムでの話に終始。それだけ多くの感動を戴けた旅でした。『里親の会』もそれなりの感動を貰えますがーーー。2月は寒さも、雪もまだまだこれから本格的に襲ってきます。11日から中国湖南省で植林現場の視察です、どの位の林になっているか、村民としっかり交流してきます。今の時期、未だ厳寒の時もある様なのでせいぜい心臓を大切にしてきます。お互い寒さに負けずに頑張りましょう。来月は『蒋家村報告書』をお楽しみに。おやすみなさい。

2017年2月4日21時書き終わる
広田 誠四郎

  


Posted by 広田 誠四郎 at 20:14リードプランニング