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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2017年12月26日

《天高く誠四郎 空を飛ぶ! 完全復帰?》

◆【我が家の絨毯】庭の沈丁花の花が咲き、今盛んに落つ。その足元は橙の絨毯となり、私の目はそれを愛でる。この時期に雨が降るとダメ。そうだ、来年はこの絨毯の上で一人、猪口にも橙の花を浮かべ、良い香りをつまみに一杯やろう。(9月28日書く)
◆【健太郎一家】8月末から6日間妻とマレーシア旅行。健一家でペナンに移住?孫もペナンの日本人学校に転校、その新しい環境の見学を。物価が安く高級マンションも安い賃料、生活は楽、という部屋に1泊。翌日、孫と付設プールで水(私は金槌)・太陽と戯れる。凜太郎も万次郎も毎日楽しく抵抗なく新環境に馴染んでいる様子、そして我慢をしながらもついて行った嫁の史恵の笑顔が輝いていたのが私の今回の旅行の一番喜び・収穫かな。
◆【通訳】は東南アジアを舞台に不動産コンサルで活躍のケンサムさん。改めて各国の開発・発展ぶり、不動産・金の高騰ぶりの講義。また400年以上の長きに欧州統治の植民地を日本の助けで英米を追い出し独立できたと心から喜びを言葉に表すケンサムさん。反米の憎しみを体一杯の表現に、強靭なマレーシア人の国民性を彼に感じた。健一家には、誰もが体験できないペナン生活をより実りあるものになることと心から願う。
◆【ANA劇場】帰りの機内では「杉原千畝物語」の映画を見て、センポの男気を再認識。当時のポーランド人6000人の命を救ったビザ発給、私も一度カウナスを訪ねてみたい。他に「習慣化する力」を見る。小さな事の積み重ねが大きな結果を生む。あの4000本安打のイチローの話を含めあっという間の帰りの5時間であった。機内食・お酒に満足。
◆【9月6日朝1時】夜中羽田よりタクシーで帰宅、先日のマニラ行も、この7日のハノイ行も。バスよりも少し高いだけで往復ドアtoドアですもの。前後泊しなくて戻れ、体も楽だ、便利である。10月7日―12日のベトナム行きは7人なのでは更に安価に。
◆【ラグビーのメッカ】21・22日は釜石東RCを訪問。高崎東と姉妹クラブ締結初例会に16人参加。一ノ関からバスで気仙沼・奇跡の一本松・ワールドカップラグビー建設会場見学。釜石駅隣接のホテルは大会開催用に今年完成。釜石東は医師・歯科医・教職OBの会員が多い。宴会・交流も恙なく終了、私は早めに佐相正芳社長と暗い道を宿に。
◆【釜石の街】朝食は7時前、のち散歩に。昨夜は、暗い夜道を足元に気をつけ歩いたが、朝は颯爽?と。この町はどこを歩いても新日鉄の街という印象。駅前では新日鉄の選手達が、メガホン・旗を持って道行く車・人に翌日の試合観戦のアピールを、流石『ラグビーの街 釜石』。2時間弱歩き戻る、小休止してバスで帰路に、途中初めての中尊寺・毛越寺の見学に心ウキウキ。一ノ関では、皆と別れ野口茂会長と今井照喜会員に同行。
◆【名物ジャズ喫茶『ベイシ―』】野口・今井社長の二人に改めて感謝。何とも迫力のある店・音楽・店主の菅原昭二も纏めて全て素晴らしい。ゆっくりとのんびりと再訪したい。近くの地主町の蔵の街並みも恰好よいし、駅までの商店街も中々元気な様子だったネ。
◆【評伝 福田赳夫】昭和51年総理に、53年発行現役時代に書かれた本。特別褒め称えず素直に政策・基本姿勢・生き方を評価し、真直ぐに見つめた筋の通った評伝。世相・経済・人事がどう流れるか分からぬ中、おだてず現役の総理を語るは難しい。今の総理の評伝はどんな形で表現されるか。○○○ミクスと言いながら、ダメ。福田さんは総理になる前から経済の舵取りを任され、名医の実力に国民は安心しきっていた。が、今は弁明総理・悪戯大臣だけでなく議員にも信頼できる人がどれだけいるのか。誰に投票したらよいのか。私はわからない。
◆【後見人制度】皆さーん呆けては駄目ですよ。ある程度の年齢になると少しずつボケ(認知症)が。最近は取引をする前に『本人確認』と称して面談し、司法書士から細かく意思の確認、書類の提出を要求される。この関門をパスできなければ、不動産を売ることも、貸すことも出来なくなる。面倒でも医師の診断・裁判所の判定を待っての判断になってしまう。裁判所からの判定故、全く後見人にお任せでよいのかと思うとこれが信じられない事も。この件については来月号で触れてみたいと思います。とっても難しい『後見人制度』問題ですよ。
◆7日から12日までハノイの子供たちに会ってきます。25年前の1年生はもう32歳になっているのだが、今回は何人、何歳のOBOGに会えるのだろうか。行ってきまーす。
2017年10月4日午後11時書き終える
広田誠四郎
  


Posted by 広田 誠四郎 at 17:34リードプランニング

2017年09月15日

《清里合宿》

◆【8月31日ー9月5日はペナン】原稿〆切と旅行が重なり10日早く筆を執る。私の担当者は一番遅い原稿が早く届き、今月は少し余裕かな?7月は売買業務が特に忙しく毎日気合を入れて準備をし、やっとのことで乗り切った。8月5日は祭りには4時間ほど顔を出しただけ。夜は八千代町の高見澤隆先輩の自宅のバラ園での花火見物としゃれこんだ。でも花火を挙げる場所の変更で「花よりだんご(お酒)」になってしまった。翌日(6日)は大学のフットボール合宿で同期の安藤邦夫と後輩の羽馬広行の強い勧誘によって山梨の清里高原・清泉寮のグラウンドに立っていた。(8・21記)
◆【祝・ポールラッシュ生誕120年】立教大学教授・日本アメリカンフットボールの父・清里高原の開拓者・聖路加病院設立発起人・戦後の甲子園高校野球を再開・マルチな活躍をされた偉人。清泉寮の前には氏の銅像が立つ。「日本アメリカンフットボール殿堂記念館」を訪れ、昭和39年の我々の甲子園ボウルの新聞記事や資料も目にできた。羽馬のアメリカンフットボール雑誌〔タッチダウン〕の表紙を飾る大写しも見つかった。更に我々の青春時代のお宝が何か他に見つかるかもしれない。来年の清里合宿も訪問しようかな。(8・21記)
◆【24時間テレビ】昨夜たまたま『愛は地球を救う』のマラソンを見た。92年間寛平から・昨年林家たい平迄24組の歴代ランナーの伴走した『坂本雄次』を初めて知った。彼の詳細は知らぬが節子夫人との間に娘がいたが、生まれて間もなく亡くした。その自分の娘と同じ年に生まれた西村知美を02年に伴走。自分の娘を励ますかのように伴走し、感激・感動し、走ること・励ますことに意義を感じた彼は勤めをやめ『伴走』に生活をシフトしたという。でもすでに年齢も67,8歳、流石にここ何年かは自分の完走もままならない。ずっと選手の世話焼をしてくれた節子夫人も現在病床に、今は彼が家事もこなす。『伴走も今年が最後かも』完走請負人は弱音を吐く。おやじガンバ、まだまだ若いですぞ!ブルゾンちえみよく走ったね、完走・完歩?おめでとう。(8・27記)
◆【給食で死ぬ】読みたい本を枕元に置く。横になって手にしても電気をつけっぱなしにしてしまうのであまり読まないが。3月?に購入『給食――』を手にした。怖い題名だが読み始めて一気に2度読み返した。ある校長が子供たちの荒れ方を見て何が不足しているのか研究し続け、多くの子供達の『元気・やさしさ』を給食メニューを変えて取り戻した素晴らしい実践報告。そしてプロレスラー・区会議員の真摯な生き方・新潟のコロナ社長の社員を大事にする姿勢は見習いたい。校長から教育長になり給食を変えた、この本を多くの行政関係者に読んでもらい、変化を求めたい。こんな校長・市長が高崎にも欲しいな。(8・28独り言)
◆【天高くのんびりと】お盆を過ぎると一気に秋に突入、太陽も遅く出てきて早く引っ込む。陽?日が大分短くなった。このところ雨も少なくなったので愛車50ccを乗り回す。この1週間は1日50㎞平均、快適なのだが道路の舗装の繫ぎ目や凸凹が怖い、車に煽られるのも。落ち着いた秋本番になれば、清々しい爽やかな田舎道をのんびり走りたい。時速40㎞以上は出せないとか、バイク専用道とか、優しいバイクの利用者を増やす保護政策の強化、なんぞ、走りやすい街(高崎)にできないものか。そういえば海外でバイクに乗ったのは沙漠で1回あったけ。やはり道路はしっかりした舗装道路がいいなー。(8・28記)
◆【今年も3分の2経過】残りの3分の1はペナン・気仙沼・ハノイ・高松・奥下田・新潟へ出掛ける。きっと楽しい毎日が私を待ってくれているだろう。27日幼・小・中学同期の信澤幸男君(コペンハーゲン在住)が里帰り、土産と一緒にコ市の地図と不動産特集の新聞を2部戴いた。消費税・福祉の先進国デンマークの話を興味深く聞かせて貰う。きれいな街の写真をみると1度訪問してみたくなった。たとえ僅かな日でもその街の空気を吸ってみたいものである。そう、私の友人は今、何人位海外で生活しているのだろうか。ちょっと調べてみようか。(H29・8・29記)

広田 誠四郎 記

  


Posted by 広田 誠四郎 at 17:26リードプランニング

2017年08月09日

《夏本番! そんじょそこいらの暑さには負けねえぞ!》

◆【8月9日の誕生日】で私は71歳、父金一は50歳、母敏子は56歳で没、比すれば私は長生きですなー。3年前に心筋梗塞で死に損なった私の寿命は、40年前香港のあの占い師によれば、あと12年、の予定。毎朝目が覚めて命あることに感謝して『今日もしっかり、楽しく生きよう』と念じている。本当に83歳迄なのか、いやこの調子なら90歳?100歳にも届くかも。太宰府・二日市の不動産の師 本村靖夫社長の健康生活の教えを守り、仕事に励み、国内外を飛び回り、バタンキュー。残りの永い私の『おまけの人生』を楽しみたい。
◆【訃報】中島五郎会長(陽光自動車)・小野関千枝子校長(高松中)・内藤良治会長(内藤友造商店)・黒川篤専務理事(高崎信用金庫)私の好きな大先輩が、この1か月に次々と黄泉路に旅立った。信念の強さ・固さは類をみない五郎さん中小企業家同友会含め40年間のご指導に感謝、県内初の女性中学校長の傍にいて千枝子管理者の素晴らしさを大いに吸収、PTAで経営を学ばせ貰いました。内藤さんは義父後閑周之介・叔父内堀直文の同級生、RCの会合での飲み会の席でいつもニコニコしながらお酒を干す、あのお酒の飲み方・歩く姿勢・穏やかさは天下一品、品の良さ、雰囲気最高であった。黒川さんには本店営業部長以来、公私ともにお世話になった、まだ1か月ばかり前、散歩中の専務にお会いしご挨拶をしたばかりだったのに。それにあの寄合町の1つ下の大滝進マスター(大滝)が没、あんなにごつい体・きつい言葉の中にやさしさが溢れ、旨いものを食わせてくれた。「もう仕事は充分やった、これからは釣り三昧」と3年前に店を閉め張り切っていたのに。年齢は無関係、皆、懸命に生き、良い見本を残してくれた。感謝しつつ、皆さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
◆【心に残る人】1990年 聞法会発行 白衣叢書8が手元にある。執筆に堤宏さんの一文「人生の師」に登場するのは高崎市役所の上司「臼田岩夫」さんの事。著者は上中居の百姓家の長男、お前は百姓専門で生きろ、役所を辞めろの父上に、勤めを続けさせてくれと堤さんに内緒で説得をしてくれた事も2度3度。あとでこの話を聞いて臼田さんに感謝のみの堤さん。私の父が昭和38年当時市に出入りしていて「すごい職員がいる、あれは伸びるぞ」と嬉しそうに話していたのを思い出す。臼田さんは昭和43年に収入役現役時に心不全で急逝、その後堤さんも収入役を務め市政に多大な貢献をした。その後私は何も知らずに臼田家に出入りさせてもらい今に至っている。堤さんにこの続きの話を聞かせて貰おう、宜しく。
◆【落柿舎】22日家内と二人岐阜・京都に出かける。郡上八幡の散策・長良川鵜飼い・びわ湖テラス・実相院(床みどり)・大原三千院・魚山園舞妓・宝泉院庭園・トロッコ亀岡・保津峡・祇王寺(苔の寺)嵯峨等々盛沢山の見物をし、汗びっしょりの3日間。非常にくたびれたが、三千院の正門に立った時は高校時代に一気に戻った感が、また祇王寺に向かう途中、『落柿舎』の3文字を。私は『あの落柿舎だ』何とか行ってみたいと1人外れて落柿舎にたどり着く。『向井去来庵』は何とも懐かしく?イヤ殆ど記憶にないが昔を少しだけ手繰り寄せられた。『芭蕉』と『去来』の師弟愛を感じ、一瞬、京都に着た喜びに浸れた。心臓に悪いと承知での早足で、ドキドキワクワクの私1人の探検15分間であった。
◆【再挑戦 中国語】10年前?高崎経大学院の留学生「倪鏡ニーチン」に熱心に中国語講座をお願いしたが全くものにならず断念。今ニーチンは高経大に非常勤講師で川口市から週一通勤、先日1年ぶりに来所。美人になった顔から、親子3人と彼女の両親の5人充実した生活ぶりが窺える。内モンゴル大学〔内蒙大〕3年時に沙漠での出会い、もう24年経過。経大大学院で博士号、ロータリーの米山奨学生、吉田学長推薦で農山漁村文化協会勤務。日本語も文字も綺麗に話し、書き世界を飛び回るスーパーウーマン、このままご両親も日本に住んでもらえばと進めるのは勝手な話か。7月から火曜10週間2回目の挑戦開始、続くか?
◆【楽しみな8月】すでに4回の中国語講座終了、少しは上達するか、頑張ろう。仕事の話を一つ。伊勢崎のお客様とは中々話が妥協しにくく手を引くことにした。初めての事である、私の負けである。でも時間の消耗が防げることで私にとって大いなるプラスが出来た。全てに忙しかった7月がようやく終了。5・6日と高崎祭り、お盆が入り少しは時間が取れるであろうか。富岡・大胡・地元市街地物件に集中せねばならなく8月はしっかり時間管理を。どうか皆さんも暑さに負けずご自愛のほど。
平成29年7月30日〔日〕11時50分書き上げる
広田 誠四郎 記

  


Posted by 広田 誠四郎 at 15:37リードプランニング