2019年06月18日
《令和時代を1ケ月過ごして》
【令和開幕】
令和の時代が幕を開けました。今、5月1日の日記をみると、「令和最初の朝食は和食だ。焼き魚が美味しい。令和に焼いた魚は一味違う!令和最初の誠太郎(1歳4か月の長男)のオムツ替え。健康的で頼もしい量だ!令和スタートはこうでなくては!令和初の出勤のスーツは先日買ったばかりの新しいスーツで行こう!(略)」
弊社自体はG.W中長いお休み(4/29~5/5)を頂きましたが、世間が大型連休であろうと経営者に休みなどありません。(正確に言うと人混みが苦手でズラして後日お休みをとろうと思います)
令和初のG.W大型連休は、仕事をしていたとなんとも華のない時間を過ごしていましたが、何をするにも、これは令和で一番最初のイベントだ、といちいち関連付けて楽しんでいます。
【初夏の風景】
初夏を感じさせる陽気が多くなってきました。個人的には夏が好きなので、「早く来てほしい!」という感じなのですがその前に梅雨がやってきます。多くの雨が、私たちは勿論動植物にとって恵みとなるのですが、多すぎても、少なすぎても困ってしまう事に、未だに私たちは自然の恩恵の中で生きていることを痛感します。
この時期は、昼は新緑の生い茂りが目を楽しませてくれますし、会社帰りの夜道など、ブナ科の樹木の花でしょうか独特な匂いに鼻が刺激されます。花粉を媒介する昆虫を呼ぶ為の匂いですから何かしらのフェロモンで、人も刺激する共通の成分があるのかもしれませんね。
この時期は、各地の動物園で赤ちゃんのお披露目もされているニュースが流れてきますし、公園の池などでカルガモの親子の行進などとても微笑ましい風景が見られるこの時期も真夏に劣らず好きな季節です。
【ネットのない時代の青春時代】
社会人になってから、いつ頃からか、商談や契約などの仕事をはじめ、勉強会やセミナー、所属する団体での会議などで月平均4回東京に通っています。
その出張中に、楽しみにしているのが車内雑誌の「トランヴェール」、特に巻頭エッセイは必ず目を通します。沢木耕太郎の文章に込められた深い意図まで読み取れないことが多いのですが、彼の文章には独特のリズムがあり好きです。
沢木耕太郎との出会いは、中学生の頃、兄の本棚から「深夜特急」を(勝手に)借りて以来。思えば私は兄(の本棚)から多大な影響を受けて思春期を過ごし自分なりの哲学や生き方を決めてきたような気がします。
特に当時はインターネットなどありませんでしたから、自分を夢中にさせる作家のお気に入りの音楽などが文中に出てくると、少しでもその価値観に触れたくて、当時街中で一番大きかったCDショップで夢中で探していたのを覚えています。村上春樹の「ノルウェーの森」がビートルズのアルバムを集めるきっかけになったのも青春です。
【コラム?エッセイ?】
自分がこのリード誌に書いている文章を自分ではコラムと言っていますが、先述の「巻頭エッセイ」の言葉に「あれ?」と疑問が湧き調べてみました。
『「エッセー」とは、自由な形式で意見や感想を述べた文章のこと。「随筆」や「随想」とも呼ばれます。身の回りに起こったことや体験、事象などをテーマに筆者の思うままにつづられるものです。ただし、英語の「essay」には小論や論文といった意味も。 一方、「コラム」は、本来「縦の段、欄」を意味します。 「新聞や雑誌で短い評論などを載せる欄」「その欄に載る文章」のことです。 評論とはものごとについて批評し、論じること。 しかし現在では「コラム」の意味はより幅広くなっています。 紀行文や人生体験など、さまざまな文章が「コラム」として扱われます。 「エッセー」についても、文章だけでなく、「写真エッセー」や「コミックエッセー」といった分野も存在します。(毎日新聞「コトバ解説」より)』
とのこと。果たして自分のこの文章はどちらなのだろうと、改めて調べてもよくわかりません。現代的課題解釈であればどちらでも良いと言うのが私の結論なので、今後もコラムと自称させて頂きます。
【令和に込められた思い】
令和の語源は万葉集から、だそうです。安倍首相は、「文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和な日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ち溢れた新しい時代を国民の皆様と切り開いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております」と述べました。
最近、人間はどの立場、どの状況にいても不満や悩みを抱えている生き物だと感じる事がありました。もしかしたら、与えられている恩恵に気が付かず、当たり前のことだととらえて感謝の念が薄らいでいるから、そんな風に不満や悩みが生じてしまうのか、と自らを省み、まずは周りへの感謝を絶やさないことを念頭に令和を元気よくスタートします。
2019年5月30日 広田 金次郎
令和の時代が幕を開けました。今、5月1日の日記をみると、「令和最初の朝食は和食だ。焼き魚が美味しい。令和に焼いた魚は一味違う!令和最初の誠太郎(1歳4か月の長男)のオムツ替え。健康的で頼もしい量だ!令和スタートはこうでなくては!令和初の出勤のスーツは先日買ったばかりの新しいスーツで行こう!(略)」
弊社自体はG.W中長いお休み(4/29~5/5)を頂きましたが、世間が大型連休であろうと経営者に休みなどありません。(正確に言うと人混みが苦手でズラして後日お休みをとろうと思います)
令和初のG.W大型連休は、仕事をしていたとなんとも華のない時間を過ごしていましたが、何をするにも、これは令和で一番最初のイベントだ、といちいち関連付けて楽しんでいます。
【初夏の風景】
初夏を感じさせる陽気が多くなってきました。個人的には夏が好きなので、「早く来てほしい!」という感じなのですがその前に梅雨がやってきます。多くの雨が、私たちは勿論動植物にとって恵みとなるのですが、多すぎても、少なすぎても困ってしまう事に、未だに私たちは自然の恩恵の中で生きていることを痛感します。
この時期は、昼は新緑の生い茂りが目を楽しませてくれますし、会社帰りの夜道など、ブナ科の樹木の花でしょうか独特な匂いに鼻が刺激されます。花粉を媒介する昆虫を呼ぶ為の匂いですから何かしらのフェロモンで、人も刺激する共通の成分があるのかもしれませんね。
この時期は、各地の動物園で赤ちゃんのお披露目もされているニュースが流れてきますし、公園の池などでカルガモの親子の行進などとても微笑ましい風景が見られるこの時期も真夏に劣らず好きな季節です。
【ネットのない時代の青春時代】
社会人になってから、いつ頃からか、商談や契約などの仕事をはじめ、勉強会やセミナー、所属する団体での会議などで月平均4回東京に通っています。
その出張中に、楽しみにしているのが車内雑誌の「トランヴェール」、特に巻頭エッセイは必ず目を通します。沢木耕太郎の文章に込められた深い意図まで読み取れないことが多いのですが、彼の文章には独特のリズムがあり好きです。
沢木耕太郎との出会いは、中学生の頃、兄の本棚から「深夜特急」を(勝手に)借りて以来。思えば私は兄(の本棚)から多大な影響を受けて思春期を過ごし自分なりの哲学や生き方を決めてきたような気がします。
特に当時はインターネットなどありませんでしたから、自分を夢中にさせる作家のお気に入りの音楽などが文中に出てくると、少しでもその価値観に触れたくて、当時街中で一番大きかったCDショップで夢中で探していたのを覚えています。村上春樹の「ノルウェーの森」がビートルズのアルバムを集めるきっかけになったのも青春です。
【コラム?エッセイ?】
自分がこのリード誌に書いている文章を自分ではコラムと言っていますが、先述の「巻頭エッセイ」の言葉に「あれ?」と疑問が湧き調べてみました。
『「エッセー」とは、自由な形式で意見や感想を述べた文章のこと。「随筆」や「随想」とも呼ばれます。身の回りに起こったことや体験、事象などをテーマに筆者の思うままにつづられるものです。ただし、英語の「essay」には小論や論文といった意味も。 一方、「コラム」は、本来「縦の段、欄」を意味します。 「新聞や雑誌で短い評論などを載せる欄」「その欄に載る文章」のことです。 評論とはものごとについて批評し、論じること。 しかし現在では「コラム」の意味はより幅広くなっています。 紀行文や人生体験など、さまざまな文章が「コラム」として扱われます。 「エッセー」についても、文章だけでなく、「写真エッセー」や「コミックエッセー」といった分野も存在します。(毎日新聞「コトバ解説」より)』
とのこと。果たして自分のこの文章はどちらなのだろうと、改めて調べてもよくわかりません。現代的課題解釈であればどちらでも良いと言うのが私の結論なので、今後もコラムと自称させて頂きます。
【令和に込められた思い】
令和の語源は万葉集から、だそうです。安倍首相は、「文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和な日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ち溢れた新しい時代を国民の皆様と切り開いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております」と述べました。
最近、人間はどの立場、どの状況にいても不満や悩みを抱えている生き物だと感じる事がありました。もしかしたら、与えられている恩恵に気が付かず、当たり前のことだととらえて感謝の念が薄らいでいるから、そんな風に不満や悩みが生じてしまうのか、と自らを省み、まずは周りへの感謝を絶やさないことを念頭に令和を元気よくスタートします。
2019年5月30日 広田 金次郎
Posted by 広田 金次郎 at 19:52
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