2003年10月18日
『寒さの中でもポプラは育つ』
◆10月9日―14日 中国河北省の豊寧県での“第4回豊寧・緑の親善大使”に参加。北京空港に近いホテル ホリディ インに行き帰りで2泊、豊寧の藍天賓館では3泊。
◆11日 外は前日からの雨が降っている、40名の植林団はめげずに現場に到着。山に囲まれた川原に既に植えるための穴は掘ってもらってある。そこに3メートル高の苗木を運び、ただ植えるだけの作業だか、6度-―8度の気温で雨とくれば軍手もびっしょりでその冷たさはかなりこたえる。午後はさらに強い雨になったので流石に、中止。
◆12日朝 初雪で外は雪景色だが雨はなし。 とても寒いが,要領もよくなり作業は捗る。でも北京からの中国青年団“小紅帽”は13人の内10人は寒さのあまりリタイアー。21歳から85歳の日本人は全員最後までがんばって750本の植林を終了した。
◆有人宇宙船の実力を持つ中国に“緑”の手伝いをすることに,疑問を少し感じる今日この頃でもある。
2003年10月18日 広田 誠四郎 書く。
◆11日 外は前日からの雨が降っている、40名の植林団はめげずに現場に到着。山に囲まれた川原に既に植えるための穴は掘ってもらってある。そこに3メートル高の苗木を運び、ただ植えるだけの作業だか、6度-―8度の気温で雨とくれば軍手もびっしょりでその冷たさはかなりこたえる。午後はさらに強い雨になったので流石に、中止。
◆12日朝 初雪で外は雪景色だが雨はなし。 とても寒いが,要領もよくなり作業は捗る。でも北京からの中国青年団“小紅帽”は13人の内10人は寒さのあまりリタイアー。21歳から85歳の日本人は全員最後までがんばって750本の植林を終了した。
◆有人宇宙船の実力を持つ中国に“緑”の手伝いをすることに,疑問を少し感じる今日この頃でもある。
2003年10月18日 広田 誠四郎 書く。
2003年10月05日
ベトナムの楽しい5日間。
◆9月10日神宮外苑前の不動産業者を訪ね、藤塚町のマンションの売買契約。久しぶりに神宮界隈の散策を楽しんだ。少し暑く汗をかいたが都心の緑陰と風がとても心地よかった。
◆8日前橋市古市の土地売買、11日は市庁舎最上階のコートカフェでロータリークラブの月見例会、12日田町の、18日は稲荷町マンション売買。13日-17日はハノイ旅行。
◆ここで少し詳しくその報告を。〔ベトナム教育里親の会/小林宏道会長〕の〔第8次訪越団・ベトナムは越の国という〕に参加。13日は移動日、14日はハロン湾観光、15日 ハノイ市教育養成所を訪問し、皆さんからお預かりしている奨学金276人分163万8千円をウエン副所長に手渡した。 『皆さんの奨学金は困窮家族には大きな励みとなり、お蔭様で里子たちは元気に通学しています、里親の皆様に宜しく』との伝言を預かかった。
◆15日午後からハイバチー地区の小学校2校訪問。市内の12区中1番の貧困な地域との事、でも1校目では鼓笛隊の出迎え、5人の訪問団は顔を見合わせ驚く。2回目参加の 三木洋子さん〔井野町在住〕の里子VAN君〔4年〕の自宅まで学校から歩く。3階建ての立派な家、近所の人たちがお金を出し合って建ててあげたと言う。でも家財道具は机が1つぽつんと、あとはカバンに筆箱1つ。2人目の里子は三木一弘さん〔同〕のDAI君〔4年〕の家、この家はひどかった、穴倉の様な所に6畳1間、台所も何もあったものではない。
◆16日は平塚容子さん〔中居町〕の里子THIちゃん〔2年〕の家もひどい、蓄えている雨水も飲料にしていると思う。家を覗くのも可哀想でならなかった。父親はバイクの修理と農業、母親は入院中。4人目のQUANG君〔3年〕は樋口守夫さん〔玉村町板井〕の里子。この家は新築間もないいい建物。親戚の人達が出し合って造ってくれたそうだ。
◆ベトナムでは昔から互助精神がとても大事にされ、その現れの1つが皆で困っている人を助け自分達は古い建物で我慢していると言う。ならば簡単に奨学金の補助、援助もできるのではという疑問を持った。自分が新しい家をつくり古い家を貸してやれば良いのではないか。と私は私なりの考えを持つのだが。私の考え方がおかしいのかな?
◆ホテルはニッコ-ホテル、15日の朝食での事。同室の樋口さんと食事をしていると黒ずくめのスーツを着た若い人達7−8人が2つのテーブルに、年配の紳士と着物姿の素晴らしい美人が別なテーブルに腰を掛けた。『あれ、この人は誰だっけなあーー、そうだお茶の千さんだ』私はロータリークラブの大会で千玄室さんの講演を聞いたことがあったので千さんの食事の終わるのを待ってご挨拶にいった。『奨学金を持参してーーー』『ロータリーでの活動ですか』『いえ、独自の会の活動です』『それはご立派ですね、是非頑張ってご活躍を』僅かな会話だったが私は千さんの物腰のやわらかい言動と魅力的な顔に男惚れしてしまった。来年6月に大阪でロータリーの世界大会が開催される。千さんはその大会委員長を務められる。良いホテルに泊まると何か違いがあるね。頭髪の短い人もいたので樋口さん曰く『怖い人達のグループかと思いましたよ』だってさ。
◆今回の朝はホテルで、昼も夜も地場のレストラン、それも本当に大人気の焼肉屋、最後の夜はステーキをご馳走してもらい大満足。帰りの飛行場に向かうバスで通訳のビンさんから曰く『昨夜の肉は牛と犬、如何でしたか』誰だい今ごろ『そういえば黄色い粉でまぶしてあったのは少し硬かったな、それに入口に犬が多く繋がれていたよ、』そんなこと。
◆こんな楽しい5日間の旅、疑問ももったが、あの貧しさを感じさせない素晴らしい彼らの笑顔や歓声、輝く目に私は大きな元気を貰って帰ってきた。
◆20日 ロータリー米山奨学金の会議に代理出席、21日 倉渕ダム対策会議と祭りの田町神功会総会、22日 原市の土地売買契約、24日 映画〔伊能忠敬〕感動した。
◆全く紙面が少なくて書ききれないが最後にたいへんお世話になったサンコー72カントリークラブの寺本欣正会長が9月10日ご逝去された。10月2日葬儀。ご冥福をお祈り申し上げます。改めて別な紙面で寺本会長について記させてもらう予定です。
2003年10月5日〔日〕 ひろたせいしろうかく
◆8日前橋市古市の土地売買、11日は市庁舎最上階のコートカフェでロータリークラブの月見例会、12日田町の、18日は稲荷町マンション売買。13日-17日はハノイ旅行。
◆ここで少し詳しくその報告を。〔ベトナム教育里親の会/小林宏道会長〕の〔第8次訪越団・ベトナムは越の国という〕に参加。13日は移動日、14日はハロン湾観光、15日 ハノイ市教育養成所を訪問し、皆さんからお預かりしている奨学金276人分163万8千円をウエン副所長に手渡した。 『皆さんの奨学金は困窮家族には大きな励みとなり、お蔭様で里子たちは元気に通学しています、里親の皆様に宜しく』との伝言を預かかった。
◆15日午後からハイバチー地区の小学校2校訪問。市内の12区中1番の貧困な地域との事、でも1校目では鼓笛隊の出迎え、5人の訪問団は顔を見合わせ驚く。2回目参加の 三木洋子さん〔井野町在住〕の里子VAN君〔4年〕の自宅まで学校から歩く。3階建ての立派な家、近所の人たちがお金を出し合って建ててあげたと言う。でも家財道具は机が1つぽつんと、あとはカバンに筆箱1つ。2人目の里子は三木一弘さん〔同〕のDAI君〔4年〕の家、この家はひどかった、穴倉の様な所に6畳1間、台所も何もあったものではない。
◆16日は平塚容子さん〔中居町〕の里子THIちゃん〔2年〕の家もひどい、蓄えている雨水も飲料にしていると思う。家を覗くのも可哀想でならなかった。父親はバイクの修理と農業、母親は入院中。4人目のQUANG君〔3年〕は樋口守夫さん〔玉村町板井〕の里子。この家は新築間もないいい建物。親戚の人達が出し合って造ってくれたそうだ。
◆ベトナムでは昔から互助精神がとても大事にされ、その現れの1つが皆で困っている人を助け自分達は古い建物で我慢していると言う。ならば簡単に奨学金の補助、援助もできるのではという疑問を持った。自分が新しい家をつくり古い家を貸してやれば良いのではないか。と私は私なりの考えを持つのだが。私の考え方がおかしいのかな?
◆ホテルはニッコ-ホテル、15日の朝食での事。同室の樋口さんと食事をしていると黒ずくめのスーツを着た若い人達7−8人が2つのテーブルに、年配の紳士と着物姿の素晴らしい美人が別なテーブルに腰を掛けた。『あれ、この人は誰だっけなあーー、そうだお茶の千さんだ』私はロータリークラブの大会で千玄室さんの講演を聞いたことがあったので千さんの食事の終わるのを待ってご挨拶にいった。『奨学金を持参してーーー』『ロータリーでの活動ですか』『いえ、独自の会の活動です』『それはご立派ですね、是非頑張ってご活躍を』僅かな会話だったが私は千さんの物腰のやわらかい言動と魅力的な顔に男惚れしてしまった。来年6月に大阪でロータリーの世界大会が開催される。千さんはその大会委員長を務められる。良いホテルに泊まると何か違いがあるね。頭髪の短い人もいたので樋口さん曰く『怖い人達のグループかと思いましたよ』だってさ。
◆今回の朝はホテルで、昼も夜も地場のレストラン、それも本当に大人気の焼肉屋、最後の夜はステーキをご馳走してもらい大満足。帰りの飛行場に向かうバスで通訳のビンさんから曰く『昨夜の肉は牛と犬、如何でしたか』誰だい今ごろ『そういえば黄色い粉でまぶしてあったのは少し硬かったな、それに入口に犬が多く繋がれていたよ、』そんなこと。
◆こんな楽しい5日間の旅、疑問ももったが、あの貧しさを感じさせない素晴らしい彼らの笑顔や歓声、輝く目に私は大きな元気を貰って帰ってきた。
◆20日 ロータリー米山奨学金の会議に代理出席、21日 倉渕ダム対策会議と祭りの田町神功会総会、22日 原市の土地売買契約、24日 映画〔伊能忠敬〕感動した。
◆全く紙面が少なくて書ききれないが最後にたいへんお世話になったサンコー72カントリークラブの寺本欣正会長が9月10日ご逝去された。10月2日葬儀。ご冥福をお祈り申し上げます。改めて別な紙面で寺本会長について記させてもらう予定です。
2003年10月5日〔日〕 ひろたせいしろうかく