2003年08月10日

『私の57回目の誕生日は』

◆8月9日は私の誕生日.台風10号が本州を直撃する恐れをのこす午前中は販売予定の土地の隣接地主宅を訪問と、大橋町のマンション売買契約締結。午後は高崎商工会議所での『倉渕ダムの第1回公開討論会』に出席,参加者数は300名をゆうに超えた。
◆群馬県側は河川課の職員,市民側は河川工学の第一人者,大熊孝氏と嶋津暉之氏、コーデイネ-ター小葉竹重機群大教授によって『治水』について討論した.400億円からの事業費を投ずるにはあまりにもお粗末な行政側の姿勢,答弁。さらけ出した醜態をどうやって修復し市民の指示を得ていくのか、当面、事業再開の可能性はゼロである。
◆施工者の知事や烏川流域の市町村長の顔が見えず淋しかった《鬼石の関口茂樹町長や共産党の伊藤祐司県議の顔は見えたが》。こんな良い討論会,勉強会によって税金の無駄遣いをなくし,環境保護を推進できる。漸くスタートラインにつけた。良い誕生日だった。

03年8月10日 広田誠四郎記  


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2003年08月04日

『エ、もう8月』

◆7月7日、平成3,4年度高松中PTA本部と先生方のOB会『さんしの会』に参加。当時の小野関千枝子校長を囲んで年に1度、七夕前後に開催、今年は校長,亀山,中島常ちゃん,高橋隆ちゃん各先生と栗本,有間,柴田,綱島,奥井さん,竹内、女部田,柴山、浦部、千木良さんの美男美女が新町の〔赤鬼〕に集合した。私の高校の同級生、飯島弘和〔旧姓 関〕先生は体調を崩して欠席、残念。生憎の天気で〔天の川〕は見ることはできなかったが来年は是非、元気に全員出席できるように《願》を掛けて閉会した。
◆私がPTAに出始めたのは江木の城田親彦、連雀の故 中原聡両先輩のお誘いにより、高校は柳川の栗本靖彦先輩の強引なお誘い?によるもの。その6年間は根岸弘文、小野関,高校は堀口康平、故 古川功各校長の学校経営ぶりに管理者の大事なポイントを勉強させてもらえた、とても有意義な6年間であった。先輩には本当に感謝を申し上げます。
◆『ベトナム教育里親の会』はお蔭様で何とか新しい50人の方に里親になっていただくことができました。但しまだ8名の方には私が忙しぶっていて手続き未了ですが。入会いただいた方、紹介いただいた方大変お世話になりました。〔里子〕に会いに行く《第7次訪越団》はこの9月13日―17日に決定。ハノイの小学校や市や郡の教育委員会を訪問し、奨学金を渡したり〔里子〕やその子の自宅を訪問し、家族とも交流するツアーです。8月10日までに私まで申し込んでください。090−3147−7545まで
◆7月18日、富山の滑川市で良い店を案内してもらえた、〔飛泉〕という酒に拘った本当に最高に旨い料理を出してくれる店。〔ほたるいか〕〔岩牡蠣〕だけの滑川ではないことがよくわかった。富山にいく機会があったならば是非、足を伸ばす事をお薦めします。
◆7月22日、中国河北省の友好都市 承徳市からのお客様の歓迎会に出席、林業局の職員3名の方と通訳〔高経大学院 倪鏡さん〕を通じて承徳市の環境、緑化についてレクチャーしてもらった。9月中には承徳市を訪問し現地での緑化事情の確認をしてきたい
何が出来るかわからないが、その後、次に出来る事を見つけてみよう。
◆7月30日、朝6時上並榎〔シャクナゲ〕駐車場に集合、烏川沿いを歩く企画に参加。生憎の雨降りではあったが元気よく堤防沿いを歩く。その後、車で移動しながら各所を歩き、見学する。長野堰が取水している頭首工では満々とした水量に烏川の大きさを改めて認識させられた。何だかやせ細った川のイメージで烏川をみていたが『実はこんなに立派な川なのか』と私はとても嬉しく、より『烏川』が好きになった。
◆『遠く榛名の峰の雲 流れて尽きぬ烏川 あしたゆうべにーーー』これは私が7歳の時に覚えた中央小の校歌のでだしである。.小、中,高の校歌にも多く謳われているこの『烏川』は、群馬県内で唯一『ダム』のない川でもある。この川に最後のとどめをさそうとしているのが県知事であり、多くの県会議員である。今、ダムを作る為に県はうそをつきつき県民,市民を丸め込もうとしている。我々は何が何でも『烏川』を守らなければならない。
◆8月1日、ラメーゾン前の杉浦パークで祭りの前夜祭、太鼓の叩きあいが8時前で終了。.その足で『高崎の水を考える会』の会議に参加。内容は急遽2日16時に新潟大学の大熊孝教授を訪問する、ので同行してとの事.。今年の祭りは楽しみ、少しはお手伝いぐらいできるカナと予定していたが、メインの時間は移動で新幹線の中という事.になってしまう。
◆大熊教授は日本を代表する河川研究者で全国区の学者。.『私は過去にダム進行にゴーサインも出しているし、止める結論も出している』『非常に難しいケ--ス が多く頭がいたいですよ 。でもダムを作る時は川に最後の劇薬を打つようなモンですよ』『でも倉渕ダムは全く難しくない。だって間違いの多すぎる計画だから』『でも県との勝負は皆さんの市民運動ですよ、熊本も長野もどんどん市民の輪が大きくなってきました。まだまだこれからですよ、1枚岩になって頑張ってください』最後に戴いた言葉は『命の安全は河川改修でも守れます』今の私に何ができるだろうか、越後の酒を飲みながら考える、.酒1本が空いたところで高崎の花火が威勢良くあがっていた。

2003年8月4日 深夜 57歳目前の誠四郎書く  


Posted by 広田 金次郎 at 18:24Comments(0)リードプランニング