2017年08月09日

《夏本番! そんじょそこいらの暑さには負けねえぞ!》

◆【8月9日の誕生日】で私は71歳、父金一は50歳、母敏子は56歳で没、比すれば私は長生きですなー。3年前に心筋梗塞で死に損なった私の寿命は、40年前香港のあの占い師によれば、あと12年、の予定。毎朝目が覚めて命あることに感謝して『今日もしっかり、楽しく生きよう』と念じている。本当に83歳迄なのか、いやこの調子なら90歳?100歳にも届くかも。太宰府・二日市の不動産の師 本村靖夫社長の健康生活の教えを守り、仕事に励み、国内外を飛び回り、バタンキュー。残りの永い私の『おまけの人生』を楽しみたい。
◆【訃報】中島五郎会長(陽光自動車)・小野関千枝子校長(高松中)・内藤良治会長(内藤友造商店)・黒川篤専務理事(高崎信用金庫)私の好きな大先輩が、この1か月に次々と黄泉路に旅立った。信念の強さ・固さは類をみない五郎さん中小企業家同友会含め40年間のご指導に感謝、県内初の女性中学校長の傍にいて千枝子管理者の素晴らしさを大いに吸収、PTAで経営を学ばせ貰いました。内藤さんは義父後閑周之介・叔父内堀直文の同級生、RCの会合での飲み会の席でいつもニコニコしながらお酒を干す、あのお酒の飲み方・歩く姿勢・穏やかさは天下一品、品の良さ、雰囲気最高であった。黒川さんには本店営業部長以来、公私ともにお世話になった、まだ1か月ばかり前、散歩中の専務にお会いしご挨拶をしたばかりだったのに。それにあの寄合町の1つ下の大滝進マスター(大滝)が没、あんなにごつい体・きつい言葉の中にやさしさが溢れ、旨いものを食わせてくれた。「もう仕事は充分やった、これからは釣り三昧」と3年前に店を閉め張り切っていたのに。年齢は無関係、皆、懸命に生き、良い見本を残してくれた。感謝しつつ、皆さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
◆【心に残る人】1990年 聞法会発行 白衣叢書8が手元にある。執筆に堤宏さんの一文「人生の師」に登場するのは高崎市役所の上司「臼田岩夫」さんの事。著者は上中居の百姓家の長男、お前は百姓専門で生きろ、役所を辞めろの父上に、勤めを続けさせてくれと堤さんに内緒で説得をしてくれた事も2度3度。あとでこの話を聞いて臼田さんに感謝のみの堤さん。私の父が昭和38年当時市に出入りしていて「すごい職員がいる、あれは伸びるぞ」と嬉しそうに話していたのを思い出す。臼田さんは昭和43年に収入役現役時に心不全で急逝、その後堤さんも収入役を務め市政に多大な貢献をした。その後私は何も知らずに臼田家に出入りさせてもらい今に至っている。堤さんにこの続きの話を聞かせて貰おう、宜しく。
◆【落柿舎】22日家内と二人岐阜・京都に出かける。郡上八幡の散策・長良川鵜飼い・びわ湖テラス・実相院(床みどり)・大原三千院・魚山園舞妓・宝泉院庭園・トロッコ亀岡・保津峡・祇王寺(苔の寺)嵯峨等々盛沢山の見物をし、汗びっしょりの3日間。非常にくたびれたが、三千院の正門に立った時は高校時代に一気に戻った感が、また祇王寺に向かう途中、『落柿舎』の3文字を。私は『あの落柿舎だ』何とか行ってみたいと1人外れて落柿舎にたどり着く。『向井去来庵』は何とも懐かしく?イヤ殆ど記憶にないが昔を少しだけ手繰り寄せられた。『芭蕉』と『去来』の師弟愛を感じ、一瞬、京都に着た喜びに浸れた。心臓に悪いと承知での早足で、ドキドキワクワクの私1人の探検15分間であった。
◆【再挑戦 中国語】10年前?高崎経大学院の留学生「倪鏡ニーチン」に熱心に中国語講座をお願いしたが全くものにならず断念。今ニーチンは高経大に非常勤講師で川口市から週一通勤、先日1年ぶりに来所。美人になった顔から、親子3人と彼女の両親の5人充実した生活ぶりが窺える。内モンゴル大学〔内蒙大〕3年時に沙漠での出会い、もう24年経過。経大大学院で博士号、ロータリーの米山奨学生、吉田学長推薦で農山漁村文化協会勤務。日本語も文字も綺麗に話し、書き世界を飛び回るスーパーウーマン、このままご両親も日本に住んでもらえばと進めるのは勝手な話か。7月から火曜10週間2回目の挑戦開始、続くか?
◆【楽しみな8月】すでに4回の中国語講座終了、少しは上達するか、頑張ろう。仕事の話を一つ。伊勢崎のお客様とは中々話が妥協しにくく手を引くことにした。初めての事である、私の負けである。でも時間の消耗が防げることで私にとって大いなるプラスが出来た。全てに忙しかった7月がようやく終了。5・6日と高崎祭り、お盆が入り少しは時間が取れるであろうか。富岡・大胡・地元市街地物件に集中せねばならなく8月はしっかり時間管理を。どうか皆さんも暑さに負けずご自愛のほど。
平成29年7月30日〔日〕11時50分書き上げる
広田 誠四郎 記

  


Posted by 広田 金次郎 at 15:37リードプランニング