2010年04月07日

《3月どうだった!? イヤー散々33だった・痛かった》

◆3月6日―9日『日中桜プロジェクト』で中国湖南省蒋家村へ。今回は往復ANA、機内では『ナベサダ』の音楽を楽しむ。広州―チェン州は開通したての新幹線、駅舎も、車両もピッカピカ、時速350キロ、前回までと比して時間は大幅短縮だ。構内・車内はおのぼりさんで一杯という感じ。蒋家村の村中の歓迎を受け、現場視察。とても亜熱帯地域とは思えない陽気で防寒対策に追われた。

◆成田に戻り妻に電話すると高崎は雪との事。『サア明日から忙しいぞ、しっかり仕事を』アザレアの車内で仕事日程を調整。翌10日朝は雪かきからスタート、そしてビッチリつまったスケジュールをこなすのにはバイクに限る。社員の皆さんの『今日はまだバイクは止めた方が良い』の忠告を無視して乗り出す。雨の中、飯塚町の立体交差で道路端の雪にすべり自爆、胸と肩を強打、背広もコートもお釈迦。

◆これがためこの3月は地獄の日々。とても辛い痛みとの戦いとなった。内堀整形外科の道又俊子先生『あばらと鎖骨にヒビが、1ヶ月もすれば直るでしょう』の診断。寝る事も何も、体が痛くて動かせない、勿論くしゃみや笑うのも。毎晩、夜は眠れず・壁にもたれたまま寝る、最悪のヒビ、イヤ日々だった。なにせ、夜、眠れないという事の厳しさを経験した。普段の不眠症なんか可愛いものだ。

◆この間でも仕事や、会合も可能な限りこなした。出かけるのはバイクの方が楽だった。バイクはまたげば後は、加速とブレーキ。四輪車はハンドル操作が辛い、難しい。肩を動かせず何回も切りなおす。現在、痛みは殆んどなくなったがまだシートベルトをするのも辛い。本当に身体に故障、痛みがあるということの辛さを体験。もっと辛い人の事を思い、この辛さ、怪我に私は感謝しよう。

◆倉渕ダムの中止宣言、観音山霊園建設について県からノーの見解。自然保護と経済活動は、相反するもの。人間の好き勝手な行動が地球にどんな影響を与えるのか。すべてあまり急がない方が宜しいのではないか。今、急がねばならぬ事は炭播きで土地の酸性度を低くする事位のものかな。竹を切り、竹林を減らし、竹炭を作りそれを観音山に播く作業例会は毎月、第一土曜日9時より詳細は090-3147-7545まで。

◆28日『第23回高崎映画祭授賞式』パーティー に妻と参加。茂木正男さんが亡くなって2回目の映画祭、昨年は『茂木ちゃんが亡くなって映画祭はどうなるのか』と思いながらの参加。今年はきっちり志尾睦子支配人が仕切ってくれて安心。帰りの大きなお土産袋に『モギマサ日記―僕と映画と仲間たちと―』の1冊が。まさに死闘に相応しい日記は『映画祭』と新たな結びつきを担ってくれそうだ。

◆彼がもしかして同級生になっていたかもしれないと始めてこの本で知った。もし同級生になっていたらーー。夢を見続けた男『茂木正男』の偉大さに改めて触れさせてくれた1冊の本である。その茂木ちゃんを映画祭スタート時からずっと裏方をしている常見次郎〔映画祭事務局長〕さんと会場で会う。『今日病院からでてきたんだよー』。彼のお陰で、茂木ちゃんは晴れ舞台で活躍できたと思う。共に感謝。

◆どうも毎月『思い』が伝わらず、尻切れトンボになってしまう。一つの事にもう少し詳細に書き記したほうが私の思いが伝わるのか。なにせ文章力のなさを自覚しているのでお許しを。それを承知の上で『私の人生の岐路』を書き記しておきたいので一度チャンスを見つけたい。時間の無さを理由に書けないと言っているが、心の持ち方次第と思う。『時間は作るもの』と聞いた事がある。努力不足ダネ。

◆昨日は3時半からこの原稿書き中途で仕事に。7時半 渋川物件確認、長野原お客様と面談、15時 帰高。18時半から20時 屋台村で田町の花見、その後物件の原稿書き整理をし帰宅、11時半 就寝。今朝は4時 起床、即前日の続き、今6時になろうとしている。今日も忙しいぞ、なんとも有難いお話。3月末営業成績は前年比126% 好調です。事故に気を付け『今日一日喜んで進んで仕事に励みます』倫理。

2010年4月6日朝6時15分
広田 誠四郎 書く   


Posted by 広田 金次郎 at 09:05Comments(0)リードプランニング