2003年05月05日

広告の反応?

◆この情報誌リードさんに世話になって今回が219号,『広告は見ないがコラムはよく読んでいるよ』と、嬉しい お声をかけて頂く。文章も中身も稚拙ではあるが私にとっては貴重な日記になってきた。たまに読み返すと結構楽しい。広田曰く『続いているが進歩がない』『ウン、そうだネ』皆の声。あと何回、どの位続くのかな             
◆この10年来、中国植林によく出かけるが今年は新型肺炎の影響だけではないが結果、まだ動けない。この分だと今年は果たしてどうなるのかな。最低、砂漠に1回、重慶に1回はいきたいのだが。内モンゴル大学を卒業し高崎経済大学の修士を卒業した倪鏡さんは4月から博士課程。その彼女のご両親はフフホトの自宅で出るに出られずに静かに暮らしているそうだ。大変な騒ぎになってしまったね、心配だよなニーチン。
◆4月の市長、県議、市議選が終わった。あまりにもつまらない高崎の選挙であった。1名を除いて現役全員当選。似たもの公約の羅列、政策なき戦いに勝利した議員さんは、どうやって4年間働いてくれるのかしら。目を見張るような活躍をしてくれる議員が何人出てくるのか、共産党以外はオール保守なんておかしい,何か変だ。高崎の本当のパワーをこの4年間でしっかり見せて欲しい。『ダム問題』はやり直し,検討しましょう。
◆4月12日はロータリー〔神宮義治高崎東クラブ会長〕新潟柿崎の帰雁荘で頚北クラブと合同観桜会。米山奨学生のOB会長 大路潔江〔路潔の日本名〕さんと高経大 榛有さん山口事務局長の美女3名も参加し総勢40名弱の宴会,は次期会長蔵元地酒〔吟田川〕で盛り上がった。翌日の高田公園の桜、満開の下でのだんご も旨かったナー。
◆私は柔道と僅かな縁がある。古くは私の親父金一の弟 広田清二叔父〔高中野球部・あの三輪八郎投手の時の捕手〕は本職以外の砲丸投げや柔道でも多くの大会に担ぎ出されたようだ。なにしろずんぐりがっちりの気はやさしくて力持ち,何か聞くところによると足柄山の金時のようだったそうな。残念だったがニューギニアで戦死,戦後生まれの私は勿論会ったことはない。そういえば私の従兄弟の関口茂樹鬼石町長,ニワタ損害保険 庭田登志男社長は高高の柔道部の共に主将を務めた。1年先輩の茂樹ちゃんの活躍は始終目にすることが出来た。その時の柔道教師が熊さんこと今井孝造先生と元気な桜井道場の桜井弘講師であった。当時の授業で剣道と柔道では勿論柔道を選択した。とても楽しかった。
◆4月20日高崎市柔道連盟〔茂原博会長〕の総会に出席。我が恩師,山木健司先生や井野豊前会長や横谷先生も。久しぶりでした、親しく挨拶をさせていただいた。多くの先生がやさしく『どんどん出て来いよ』と声をかけてくれた。
◆この5月10日はベトナム教育里親の会〔小林宏道会長〕の総会。先月号の案内で入会頂いた廣田紘一〔倉賀野在住〕は積極的に友人に声掛けしてくれている。何とか今年は6月中には50名の里親をご協力願得れば嬉しい。今日現在8名.後42名
◆この10日の会議でどの位会員が増えるかなという期待.1人の子供を,見ず知らずのハノイの子供たちを我々高崎のメンバーが中心になっての初等教育の奨学金制度に是非ご協力お願いします.1ヶ月600円1年間7200円を5年間継続できる方お電話ください。090−3147−7545ヒロタの携帯電話まで.時間は何時でも結構です。  

2003年5月5日  広田 誠四郎記


同じカテゴリー(リードプランニング)の記事画像
≪風の巡る季節≫
≪新しい道へ、一歩を踏み出す季節≫
≪今年も大変お世話になりました。≫
≪秋も来ぬ間に冬の足音が聞こえる≫
≪秋の扉をくぐり抜け≫
≪創業51年目、第2創業期の志を抱いて!≫
同じカテゴリー(リードプランニング)の記事
 ≪風の巡る季節≫ (2025-04-13 11:35)
 ≪新しい道へ、一歩を踏み出す季節≫ (2025-03-14 09:49)
 ≪今年も大変お世話になりました。≫ (2024-12-13 15:11)
 ≪秋も来ぬ間に冬の足音が聞こえる≫ (2024-11-08 14:28)
 ≪秋の扉をくぐり抜け≫ (2024-10-11 11:49)
 ≪創業51年目、第2創業期の志を抱いて!≫ (2024-09-13 10:51)

Posted by 広田 金次郎 at 18:29│Comments(0)リードプランニング
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
広告の反応?
    コメント(0)