2007年05月20日

人間の生き方

◆5月13日 群馬町北原の中医研「ゆいの家・高石友江主宰」で日本熊森協会の森山まり子さんの講演を聴く。戦後日本の山林を自然林から杉・檜の人口林にしてしまったゆえ奥地で生活出来なくなった熊・鹿・猿などの動物を保護しようとの呼びかけに耳を傾けた。
◆早速「クマともりとひと」を300部とロータリーでの講演ビデオを購入。群馬県「森の会」リーダー大塚克巳前橋市助役に明日、前橋市役所に持参し披露する。また盛岡市の又川俊一社長には森山さんを9月の「感動塾」講師に推薦申し上げ、彼女にも講演予約した。    
◆そして今日は高崎高校創立110周年記念講演会、式典、祝賀会に参加。先刻帰宅しこの原稿を書いている。「国家の品格」の著者 藤原正彦お茶の水大教授の講演はとても理解し易く、こんな話をじかに聞けた私を含めOB・父兄・高高の生徒は本当にラッキーである。
◆式典の来賓挨拶で中曽根康弘大勲位は「高高は永遠である」と。そういえば私も高高の時にノーベル賞の湯川秀樹博士や、中曽根新大臣の講演を聞かせてもらったっけ。湯川さんの話には興味はなかったし、新大臣はラッパ吹きだなーと子供心に感じた。がそれから40数年、私は何の変哲も無い街の不動産や。そうです、皆が偉くなったら困るからねー(笑)
◆閉式前 全員で応援歌「翠巒」。「もう皆さんの前でお話することはないでしょう」と語った90歳になる大勲位。こぶしを小さく振りながら謳う姿が私のまぶたに強く残る。
        
2007年5月20日 22時   広田 誠四郎 書く  


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2007年05月07日

どんな風に変身するのか 高崎市

◆市長・市議選が終了、皆さんが支持した人は当選しましたか。良い高崎市にして欲しいものですね。漸く少し静かになったと思ったら今度は参議院と県知事選の動きが活発に。  
◆4月13日−15日は御殿場、18日は六本木のミッドタウン、19日伊香保松本楼、22日伊勢崎境、等など連日会議や研修で楽しい毎日。極めつけは4月29日−5月4日の中国沙漠植林。何故か毎日落ち着いて仕事に専念させてもらえない、これでよいのかな‽
◆北京を初めて訪れたのが1977年11月、香港から入国、広州・上海・北京経由で香港から出国の13日間、丸善の善如寺潤子さんとご一緒した7人だけの旅だった。毛沢東の逝去後、天安門広場に祈念堂が出来、横たわった「毛さん」と対面した。あれから30年、北京にはすでに20数回旅している。来るたび様変わりしている街ではあるが、今回は自分をより浦島太郎に仕立ててくれた夜景であった。以来「毛さん」とは会っていない。
◆話変わるが東京都心の駅周辺が大きなビルの建て直しや広大な空地が巨大なビルに変身している。滅茶苦茶高い家賃でも、渋谷界隈の一部を除いて坪当たり6万円位でも借り手は結構いるようだ。バブッテいる東京が動き出してはいるがこれが地に足が着いた経済行動なのか疑わしい。近い将来息切れしてしまうのではないか、予想が外れれば結構だが。
◆今、ファンドとか新システムで金を集め大きな資金にして地方の土地を求めプロジェクトを進めている会社が高崎でも物色し取得している。東京や大都会と似たような様な動きが出てくるのか。今、建設中の分譲マンションも1戸も買い手がつかず1棟まとめての売り出し中のものもある。これから手を付けるマンションはどうなるのか。 
◆私ども事務所の半径200メートル以内に建築中のマンションは1棟ごと売却できたと聞いているがこれから建設開始の2棟は果たしてどうなるのかな。そしてこの後に続く多くの計画はこのまま進むのかな。高崎だけでなく、前橋、伊勢崎など各地の市街地でも同様な計画が数多くあり心配が残る。
◆高崎駅西口にも、東口にもホテルが相次いでオープンした。そして中断していたホテル建設も新たに始まるようである。ホテル123に体験宿泊した、シングルでも室内は意外と広くベットも大きく快適であった。そして中断していた西口のホテル建設も始まる。従来の市内の旅館・ホテル営業はとても成り立たなくなるのではないか。資本主義の世の中・競争社会ゆえ仕方ないことなのか。大地震でも起き壊滅されてしまうようだ、恐ろしい時代に入ったナー。何故か世の中不景気の時を懐かしんでしまうのはまだ早すぎるのか。
◆事務所の北隣で漸くマンション工事がスタートするのかな、今道路側の囲いを作っている。開始の挨拶やどんな計画決定したのかの説明も近所には全く無いし、会合も持たない、会社の電話も出ない。人口が増え賑やかになるのは歓迎するが工事が途中でストップしてしまわぬよう頑張れ。完成した暁には管理体制がキチンした良い住民の住むマンションにして欲しい。明日は田町の総会、事業主・工事関係者にも折角だから出席して欲しいのだが。          
◆岡源跡に始まったマンション事業主の社長は東京在住だが自ら現場にも近所にもよく顔を出す。当然苦情が出れば、自ら確認して報告・説明をする。こんな事業主は珍しいが近隣の住民は安心できる。大小問わず多くの建設現場がこんな風にやってくれるようになればトラブルはなくなり、本物の明るい、元気な高崎の街が輝くと思うのだが。
◆最後に。先月、孫 凛太郎がちっともなついてくれないとこの欄で愚痴を記したが伊香保に健太郎親子3人と私達夫婦の5人で泊まった日はとても馴染んでくれた。どうせ親が一緒だから機嫌が良く又その後も繰り返しと思っていたが、もう大丈夫、泣かれなくなった。そうなれば、これからはきっと可愛らしさが増してくるだろう。4月24日1歳の誕生日には上毛新聞に親よりも早く凛太郎の顔写真が掲載された。わざわざ新聞をとっておいて「お宅のお孫さんでしょう」と新聞をくれた江木の反町さん有難うございます。以上。
            
2007年5月7日〔月〕  広田 誠四郎 記

□写真説明  上から5行目の下に写真を掲載願います。
注釈:今回はこんな松苗を3600本植樹しました

(後日、このブログ上でも写真も充実させていく予定です)  


Posted by 広田 金次郎 at 19:04Comments(0)リードプランニング