2010年05月12日

《やさしい 五郎さんが逝ってしまった》

◆3月10日の原付での自滅事故以来2ヶ月経過したが、まだ完治しない。寝返りはうてるが、痛みが走る。少し右肩が拡がったようだ、いつになったら痛みが消えるのか、死ぬまでこの痛みは残るのか。だって40数年前のフットボールの古傷、肘や膝の関節にまだ痛みを感じるように。これからはより体に注意し、大事にし、更に慎重に生きていこう。親からもらった身体だから。あと20年もたせたいナー。

◆4月8日朝、『田村屋』遠藤富美子さんの訃報。84歳没、9,10と通夜葬儀、遠藤さんには9年前から倫理指導や、度々講話を聞かせて頂いた。楽しい話にいつも吸い込まれた。2年前位まで倫理と短歌の指導で全国を歩き、時には受刑者の更生に貢献。潤社長の会長就任披露宴での「私も一度ベトナムの里子に行って会いたい」の話は、実現ならず。健二君、会葬の礼状有難う。お母さんの御冥福を祈る。

◆18日田町の黒沢洋服店 87歳没 黒澤清翁の葬儀。『みはま会』の宮野源三郎、田口九十九、設楽三郎、天田友幸、そして黒澤清さんが故人。お元気なのは91歳奥井誠二、83歳櫻井昭司さんの二人。私は最後の入会で日本酒の飲み方を教えてもらった。戦後のよき時代に田町を盛り上げてくれた先輩方とまた一緒に飲めないものか。今は『みはま会』を『のれん会』と改称して若手!?で継続している。

◆12日、田島五郎さんが急逝。PTA・ロータリー・町内会・業界・公職などにフル回転、真面目に役を受け止めすぎて、体力を消耗し切らせてしまったのか。うちの隣の屋台村に2軒出店、村長とし「今日のお客の入りはどうだい」と他の店の相談に乗ってあげた毎日。3人の子供さん達の立派な成長ぶりを、その時期毎に嬉しそうに語っていた五郎さん 誰にも愛された54年の人生。あまりにも早い『死』。

◆誰も『死』という現実に向かい合う事は辛い、特に若い人の『死』は本当に辛い。ショックだった、即、私も検査入院をしよう、生まれて初めてそんな気になった。五郎さんからの進言を受けた様な5月2日―6日入院。時間・食事・運動の管理はきっちりしてもらえた、感謝。うちの隣、五郎さんのいない『屋台村』は何故か寂しく、いまだ楽しく感じない。まだ私の気持ちの切り替えが中々出来ない。

◆もう5月の半ば、以前お知らせした『杉原千畝』物語の一人芝居開催まで80日となった。早急にチケットや案内を準備せねばならない。皆さんに7月31日[土]にたまごホールで『水澤心吾』の熱演を是非観てほしい。人間の生き方を改めて考え直す良い機会にして欲しい。私が40年間高崎で仕事をさせて頂いたお礼として行う初めてで最後のイベントとして捉えて欲しい。大感激を貰える事お約束します。

◆戦時中ユダヤ人の命を救った外交官『杉原ちうね・せんぼ』、それを演じる『みさわしんご』に興味のある方はどうぞネットで確認を。あと6月7月とこのリードも2回発行・案内の機会があるが、早めに予約を。無料ですが入場整理券 必要です。昼・夜とも定員100名[300名収容のうち]。予約窓口『せんぽ係』田中まで 平日10時―16時。多数申し込みの場合は抽選で後日お知らせします。

◆なんと7月30日は私の長男がやはりたまごホールで高名な先生を呼んで講演会を開催するそうな。まさか親父と競争しようと思っているのでは「あー同じ日でなくて良かったよ」。私はお世話になっているお客様、大家さん、仕事上の先生方、同級生、熊森協会、ベトナム教育里親の会、倫理法人会、米山奨学生・OB会、桜プロジェクト、高崎史志の会等々の皆様に観覧頂き感謝の意を表したい。

◆4月27日から1日まで内モンゴルの伊旗に。植林を始めてから18周年記念のツアー。何故20年でないの!?答えは比留間さんが「俺が元気なうちに」という事で早まった。今回も、89歳の大先輩と私は同室。まだ12年後だって大丈夫な元気さ、だった。是非100歳記念ツアーをやりましょう。久しぶりの伊旗には飛行場も出来、今新幹線も建設中。伊旗は、上海に次いでバブッテいる地区だそうだ。

◆今回のツアーで感じた事。万博が終わると少し中国の発展速度が鈍ってきそうである。益々、日本は差がつけられることになるだろうが仕方ない。日本での就職できなかった若者が今、中国に。発展する中国、インド、ブラジルも良かろう。しかし私はバブラせない国を探し、そこで落ち着いて日本人の若者の力を発揮してもらえないか。世界中何処でも活躍できる場はある。頑張れ、青年たちよ。

2010年5月11日[火]朝9時
又時間に追われた原稿書き  広田 誠四郎  


Posted by 広田 金次郎 at 09:19Comments(0)リードプランニング