2014年03月16日

《 春はもうそこまで来ている 》

◆この2・3月の大雪には完敗です。気合を入れて乗り込んだ2月も、そして3月も出端を挫かれ滅入っています。動きが取れない分少し焦りがあるのでしょうか。バイクを乗り出し、凍った路面ですってんころりん、3,4年前の雪の時もやってしまい特に雪は苦手である。慎重に走るよう気を付けているのだが前回と同様スーツを破り、膝と、胸を強打本当に痛い目にあった。私の慎重さが不足しているのは事実である。3度目は無いように。
◆8日朝ホワイトインで倫理研究所 丸山敏秋理事長の講話を聴く。時節柄、大震災時の四国の若者の例をだし彼らが支援物資を届けた行動力を高く評価。我々の代わりに犠牲になった人に節目には感謝しよう。そう丸3年である。比較外だが私の長男も、直後、支援物資を関係者で集め2度宮城に運んだ。理事長の話は長男のそんなパワー・スピード等の長所を見直しをさせてくれた。願わくば優しい気持ちの表現力が豊かになるとよいのだが。
◆終了後茨城の高萩市に向かう。初めて玉村高崎スマートICを利用、慣れずに入口を間違え藤岡迄、Uターンしたあとは順調に。今回は地球緑化センターで招聘した中国・重慶の袁真貴・張嘉義2人と通訳カクさんの3人に会うために。今回も他の地区4人に来日要請をしたが人民政府から不許可。金井久美子専務理事曰く『日中関係がこんなだし、ビザを下すと帰ってこない人(亡命)が多くて許可を出さない』だそうだ。民間外交は問題ないのだが。
◆砂漠や重慶での植林仲間の先輩方と旧交を温めるこの企画に参加。益谷信広・台坂武次・神永峰敬・塚田正之・中野孝夫・磯野孝夫先輩らと。私は作山(初代鈴木理事長の三女)さんの花栽培・カインズホーム(作山さんで花を納入)・神山石材を見学し民宿『ますたに』に。神山さんの広い石置き場に丸太や竹、それに炭焼き釜が5つ。竹を切らせ持ってこさせ、高齢者を再雇用し大量に炭作り。こんな良い事、真似したいですね、神永さん指導宜しく。
◆元気なカク・袁・張さんとの再会を互いに喜び酒を大いに飲み合った。が話の中心はやはり震災、益谷さん曰く『俺んちだってよー建物修理に2千万以上かかったぜ』地震後即小型バスは処分、半年以上休業。でも『ますたに』はまだ高台の方で被害は少ない方。部屋の2011年4〜8月号(通巻50号)地元情報誌月刊『びばじょいふる』には生々しい記録・訴えの掲載も。『東北東北というけれど北茨城も大変な被害ですよ、忘れちゃイヤよ』
◆更に災害レポートは語る。水・ガソリン・電気・食料・医薬品・おしめ等々何でも当たり前にあると思っている物が無くなるって大変な事なんですね。便利グッズとしてソーラー外灯・大ローソク・寝袋・電動自転車・卓上ガスコンロ等々が直後に役立ったと。地域の人達の声を毎月記した震災直後の冊子は非常に貴重なもの。復興の様子を語るのにも、懸命に生きる様子が素直に書かれ焦りが無い。『びばじょいふる』の編集者に敬意を表し、この冊子の永続を祈る。
◆翌朝5時から起きだし、この原稿のストーリーを考えた。1階のロビーで構想を練っていたが、暖房を、お茶を入れてくれ、また何人かが起きだし散歩にでかけた。私も中断して益谷さんのアパートや売り家を見せてもらう。いくら私が腕の良い不動産屋でも(北茨城)の家は売れないですよね。それでもネット利用して『売ってみろ、儲かるだろう』だって。一日足らずの僅かな時間であったが『炭焼き釜』含めとても楽しい時間を過ごせた。カク・袁さん再見。
◆高崎の雪被害。中央アーケードの崩落・ハウス栽培のフレーム被害・カーポートの潰れと車両の被害等々。この雪の騒ぎの中、2月19日群馬県男性長寿1位の川浦秀男翁が107歳で大往生。翁は何度も各種団体に多額の寄付をされた稀な篤志家。私も日赤の関係で随分と助けて貰ったが、1度翁の人生の振り返り講話を聴かせてもらいたかった。『ここに一千万円寄付』と、言われたご家族のお気持ちはいかばかりだったか。ご冥福をお祈り申し上げます。
◆3月22日から4月6日まで高崎映画祭、今年は何本鑑賞できるかな。雪も解けて春になる。今この2,3日でうちの河津桜は満開になりそう。まだまだ気候は安定しないが、春は直ぐそこまで来ている。合格通知・進学・新社会人等々で其々の新しい生活スタイルがスタートする。さあ思いっきり頭も体も使い頑張ろう。お互いに期待をかけてーー。
2014年3月10日  お昼どき終了
広田 誠四郎 書く
  


Posted by 広田 金次郎 at 21:04