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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2013年08月08日

《 日本輸出入銀行と人生の岐路 》

◆今日は8月1日、まだ毎日暑い、午前中高崎は雨もポツリポツリだったのでビニール傘を持って神田錦町に研修で出掛けた。時間があったので東京駅から歩く、蒸す日で汗びっしょりになった。高崎に戻って1万歩はオーバーしたが、最近は特に歩くのが遅くなったし歩く機会も少ない。運動をせねばならぬのにできない。糖尿病には歩く事が一番良いと聞いているのだがーー。暑い8月、とりあえず月間、30万歩を目指してみるか。
◆酒、ビールよりは焼酎のほうが良いと聞いて、変えてはみるが、量を飲めば同じなのか。節制を試み、自宅ではノンアルコールビールを飲むが。酒もつまみも何でも美味いし、食べる。私の寿命は83歳、まだ丸16年もある、せいぜいのんびり余生を楽しむか。よせやい、そんなに遊んでいられないし、もたねえだろう。そうなんですよ、あっしの夢は健康に注意しながら、バリバリ仕事をし83歳でパタッと死にてんですがねえ。
◆エンディングノートの薦めなんて新聞記事がたまに掲載されている。私は物・金はないから心配ねえが、まだ遣り残しはいっぺいある。誰も思い通りに最後までは見届けられねえのだから、どこかで区切りをつけ、手を離してゆく。金があれば『この子供達が成人するまでは俺が面倒見る』『この山は俺が緑化する』とかできるのだがーー。お金が沢山欲しいなー。やっぱり『お金』ってすげえなー。どんな夢も実現できるんかなー。
◆7月、同級生の竹花〔旧姓向井〕京子さん逝く。2中同窓会の代表幹事で活躍してくれた彼女、幼い時から憧れだった京林の京子さん、お世話になりました、さようなら。また倫理での短歌講師宮坂富美子さん没す、ご主人政宏さん・長男宏さんには法人会で、奥さんには家庭倫理の会で指導頂いた。倫理の模範家庭は永遠です、富美子さんにはこれから多くの道先案内をお願いしたかったのに残念。お二人のご冥福をお祈りします。
◆7月23・24日蓼科に遊ぶ、妻信子と嫁史江・孫凜太郎・万次郎で。読書とお酒の2日間、でもあのなつかしの霧が峰を訪ねることができた。立教大学1・2年時の夏季合宿の思い出の地である。『こわしみず』をやっと探し当てた感動はなんとも嬉しく49年前の記憶が少しずつ蘇ってきた。『強清水山荘』は新しいホテルに生まれ変わり往時の面影はかけらもない。教えてもらいグランドも訪ねたが場所は異なるようだった。
◆唯一ロープウェイが残り、廃屋になった旅館が当時の面影を。あのコワシミズ山荘が近くのニッコウキスゲの最高立地でドライブインを経営し地域のトップに。50年に亘る努力は大変なものがあっただろうが、それにしても多くの差をみせつけられた霧が峰であった。あれから50年。話戻って、今日たまたま大手前丸紅隣『旧日本輸出入銀行』『現国際協力銀行』の前を通った。私の人生はここがターニングポイントであった。
◆卒業後の進路で迷っていた3年終了時、上級生マネージャーに『輸銀の入社試験を』と声がかかり面接を受け、内定を貰う。アメラグの先輩が部長枠推薦に入れてくれたのだった。そのまま進めば今頃どこでどんな生活をしてきたことか、お江戸の真ん中で格好良く、又多くの海外勤務を終えてリタイアーし優雅な年金生活をーー。あれから50年。世界を舞台にしたバンカーと高崎に張り付いた不動産屋とーー、この差はなーに。
◆私は父と20歳で死別、『俺アメラグも、大学もやめて働くよ』に母は『学費くらい何とか出すよ、心配せず頑張れ』。その後の夏・冬のバイト先ではその運送会社では一番の成績。内定後『おかあちゃん、輸銀に就職する』と。喜んでもらえると思いきや『誠ちゃん、帰ってきてくれないか』この一言で高崎の不動産屋に。その母も私が26歳のとき没。10数年前に隣の丸紅に頻繁に商用で出入りする度にこの日本輸出銀行を恨めしく感じたことがあったなあー。
◆皆さん『高チャリ』乗った事ありますか。100台の赤い自転車がフル稼働?市街地各所に自転車置き場があるが早い者勝ちで、中々利用できない。私も各地で自転車貸し出し制度を利用するが今回のシステムは日本一便利で好評であろう。願わくばもっと台数をふやしてと希望する。但し、タクシー利用者が少なくなってしまう対策はーー。だって県庁の自転車置き場に鎮座の情報も。『高チャリ』で高崎は町の便利さが広がった。
◆今月は日本輸銀の前を通るたびに思う人生の『たられば』の一部をつづってみました。私はその後の私の後輩たちにお詫びせねばならない。それは私の『内定拒否』で『輸銀』にコネで進める人はゼロに。ごめんなさい。
◆この紙面がお手元につく8月9日で私も67歳。あと16年間、誠四郎を面倒見てやってください。お付き合いください。今月は個人の事とおふざけが少し過ぎて済みませんでした。父と母に感謝、墓参に行こう。
2013年8月1日
広田 誠四郎 書く
  


Posted by 広田 誠四郎 at 17:45