2009年11月11日

《ベトナムと中国》 

文中敬称略お許しを

◆今月は沢山の報告があるのだが紙面の都合でとても書ききれない。10月9日人間ドック、10日─15日『ベトナム教育里親の会』でハノイ。18日ロータリークラブ地区大会、22日日赤研修会 夫婦で日光 バス日帰り、24日磯部 倫理で親子3人で宿泊、28日伊香保に信子の親父さん後閑周之介、健太郎夫婦と凛太郎、私達夫婦と金次郎7人で宿泊。31日─5日『重慶植林』で中国に。

◆1年ぶりのハノイ。樋口守夫・三木一弘、洋子・佐藤正雄・鳥塚昭子と広田弘之おじと私の総勢7人。2日目の観光でアクシデント、目的地に到着したが樋口の体調がおかしい、急遽、村の総合病院に向かい検査を、手当てを受ける。「いやア、苦しかったヨ、だが先生がしっかりと診てくれた。」「うちの病院と変わらない位いいよ、助かった」後は変わらぬ行動ができた。明日からいよいよ本番だ。

◆3日目、朝から教育養成所(日本の教育委員会)を訪問し会員の皆様から御預かりしている奨学金250人分金150万円をヴィッキ副所長に手渡した。ハノイ市はこの1年でまた1つの村と合併、更に大きくなっていた。午後3時まずは一弘の里子ホーニエー小学校5年アン君、4時から洋子のホアンちゃん。そして弘之の里子と。大体学校と家庭を訪ね懇談し移動をすると1人1時間は優にかかる。

◆4日目鳥塚の1年生ランちゃん、大須賀正臣先生のナン君と会う。共に1年生で恥ずかしいし、緊張している。ランちゃん家族について記してみよう。私達が2階の応接教室に入ると担任の先生がすぐに裸足の少年を伴い入室。少し足が不自由のようだ、良くみると手首も少し内側に曲がっている。おじいさんが枯葉剤を浴び、父親に遺伝、2人とも既に死亡。5年生の姉と母親の3人家族である。

◆母親も歯がどんどん抜け歩行も困難のようだ。お姉ちゃんはどんな仕事でも引き受け日銭を稼ぐという。鳥塚の土産は文房具・お菓子ほかが入った赤いランドセル。はにかみながらも嬉しそうにランドセルを背負う。が右手は難なく通せるが左手は大ごとの様子、先生のバイクの後ろに乗せてもらって自宅に。自分の家でお母さんもお姉ちゃんもいたので安心したのかランドセルを背から下ろし中味を覗く。

◆中身を見て、ニコニコしながら1つずつ取り出す。「キャキャ」と2度声を出した。本当に目を輝かせながら嬉しそうに「これは全部ボクが貰ったんだ」。近所の大人も子供も集まってくる。子供にはアメや風船を分けてあげていた。誰かから言われた訳ではないのに。高学年でなく、1年生でこんなに素直に、気持ちを表現してくれた子は初めて。「アン君ありがとう」私はアン君に感動をもらった。

◆昨年から範囲拡大をしたので『枯葉剤』による影響の里子が急激に増えた。遺伝は3代は続くという。悪影響は続く。ハノイでこの状態、更に山岳地帯にいけばと思うと気が重くなってしまう。あのドク君が結婚し、来年1月に出産予定だそうだ。元気な赤ちゃんを産んでくれるようお祈りしたい。日本の広島・長崎の人たちも大変だっただろうに。そう考えると戦争って本当に恐いですね。

◆今回の『重慶植林』も素晴らしかった。2日間だけの穴掘り、植林だったが私の体に大きなパワーを甦らせてくれた。2年ぶりの重慶で汗びっしょりになって鍬を、スコップを。でも長い時間はとても持たないが、体の芯から沸々と湧き上がってくるものを感じた。去年の4月末から体調を崩し、どうにも力が出てこず、困っていたが完全復活に近い状態になってきたかな。

◆海外ではいつも何冊かの本を読む。今回は『中村天風』研究の文庫本1冊を読了。(影の声、嘘つけ、いつも酒ばっかり呑んでるくせに)。今回の中国行きでは、ともかく自分の体の内部からと、文庫本から2つのパワーを貰った。やはり私はチョコチョコ海外に出かけていないとダメなのか。それにしても中国の大発展ぶりは脅威である、ぐんぐん伸びる大中国、私の中国通いは続くであろう。

2009年11月9日 午前1時半 書き終える
もっと書かねばならぬ事が書けない
悩む広田誠四郎 書く

  


Posted by 広田 金次郎 at 10:06Comments(0)