2003年11月30日

今年もお世話になりました

◆11月4日朝,重慶を発って13時半名古屋着。17時高崎着,久しぶりに親子4人そろっての食事。私たち夫婦の29回目の結婚記念日は,本町の『翁』で子供達が招待してくれた。
◆5日はアパートの入居者が逮捕されたとの事で前橋東警察署に。面会の前にちょっと田島美徳署長はと声を掛けると『どうぞ』と即、署長室に通された。.東署は特に暴力団関連で賑やかのようだ。刑務所が一杯で空かないのでなかなか刑の確定ができず拘置所にいてもらう期間がより長くなってしまいどこも盛況?そのものだそうだ。忙しく,危険な激務のなか健康に留意して頑張って欲しい。近々、高校の陸上部の仲間を集めて一杯やりたいなあ。
◆8日、倉渕村中央公民館で湯殿山周辺の地滑り』大塚富男氏の講演会には40名弱の参加を得て榛名の『断層』について勉強,この24日はその現場の実態調査と倉渕ダム周辺の地層調査を行った。まず,上里見ではかなりの勾配の山を降り榛名町水道の取水口を確認。.案内は取水口の上部にすむ『清水の梅』の清水重信氏、曰く『水量が減ったネ』
◆『八ツ場ダム』でも大きな問題が出てきた、国が急に群馬県の負担金を大幅アップしてきたのだ。慌てて知事以下アップなしの要請をしているようだがいらない『八ツ場ダム』を造る必要なし.これからの自然災害への対応の仕方はダムに頼らずいかに正確な情報を早くキャッチして安全な場所に逃げるかが肝心。
◆副知事問題,含め年末に掛けて頭の痛い小寺知事さん。『ノーダム宣言』を早めに出すとずっと楽になりますよ。ところで中国の『三峡ダム』に水をためる作業が始まった.その地域ではもう家が傾いたりの現象が出始めたとの事。何度でもいう,治水,利水どちらも大事、だが自然に対して予測し完全なものを造ったつもりでも自然の怖さは計り知れない程、大きな雨、大水になる場合がある。だから大雨,大水が出たら逃げるしかないのだ。そして川と仲良くしよう。
◆私もお世話になっている『足利銀行』さんが経営破綻、一時国有化の新聞見出し。この年末の厳しい国の判定が田町や私の周辺にどんな影響を及ぼすのだろうか。銀行は残るし営業もそのままと言うが田町の一住民としてもとても心配だ。
◆高崎市内のリーダー格の会社が倒産したり,資産が競売に出されたり,今後もあとどの位このような事態が続くのだろうか。小さな私のところも他人事ではない.そのための勉強が大事と心得てそれなりに体制作りに頑張っている今日この頃でもある。
◆そんな暗いニュースが続く中,今手許にある〔グラフたかさき32号〕は松浦幸雄市長と横田英一高崎商工会議所会頭のいい顔を筆頭に高崎の良いとこのオンパレードである.素晴らしいカラーをふんだんにつかっての保存版。みんなこのくらい明るく元気であれば,不景気風も治まり良い年が迎えられるだろう。
◆元 高萩市長 鈴木藤太〔前地球緑化センター理事長〕さんが逝ってしまった。私の尊敬する情熱家 藤太さんには我々をリードしてもらい,また高崎東ロータリークラブでの卓話もお願いしたり、私は楽しい10年間をともに行動できた。真顔の時の貫禄は威風堂々、またやさしい言葉掛けは誰にも好かれ『おとぼけ藤太』の仇も。享年72歳。『ねえ とうたさん砂漠で散骨するんだよね、また夏一緒に行こうね。さようなら』
◆もう今年を振り返る時期になってしまった。が この1ヶ月まだまだ《もがかねば》越年できそうもない。ので振り返るのはヤメニスル。どうやら今年も最後の最後まで《もがいて》後はゆっくりとした正月を迎えたい。どうぞ良いお年を。                                         
2003年11月30日〔日〕21時30分   廣田 誠四郎 記  


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2003年11月15日

高崎の〔学童〕の創始者は

◆今月は高崎の学童保育について。今〔学童〕と言えば幼稚園,小学校の子供を持つ親で聞いたことがない人はいないと思う。下小鳥町に教室が誕生した時の事を少し話そう。
◆高校教師を辞めた男が高度成長の社会や共稼ぎの家庭をみるにつけなんとかして(鍵っ子)をなくそうと、市や各方面に働きかけ一人で夢を現実のものにしてしまった。
◆その男は私財を投げだし、足らずめは知人、友人から〔無利息10年後の返済〕の借金、そして現場の教師の確保等に奔走した。当時の沼賀市長は新町高校の校長経験者。あの〔のんべい校長〕の下で鍛えられた熱血漢は〔水村園茶舗〕を経営し〔学園長〕としても子供達を直接、指導。今現在では市内の小学校区で〔学童〕がないところが少ない。
◆その男の名は小見勝榮氏〔61歳〕。その他〔高崎市民新聞社〕の主幹、本町商店街の会長等など大車輪の活躍である。下小鳥の〔あすなろ学園〕が誕生して20年。   
◆その〔20周年祝賀会〕の案内状が届いた。13日は美味しいお酒を頂戴しよう。  

03年11月15日  広田 誠四郎 書く  


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2003年11月04日

ただいま 中国から帰りました

◆今,中国は重慶・江津市の江州大酒店でこの原稿を書き始めた2日目の夜9時である。10月31日〜11月4日迄の「第9回長江・緑の親善大使」に参加。同行のメンバーは2次会やらで楽しく語らいをしているなか、私はこの原稿書きである。これがツライので何とか出発前に書き始めたが、まとまらず止む無く重慶での書き直しである。
◆今年はSARSの騒ぎで海外旅行は前半は中止。漸く9月にベトナム里親の会、10月9日〜14日までが中国植林「第4次豊寧・緑の親善大使」そしてこの重慶と続いて終了する。
◆この欄では豊寧と重慶の報告を一部記したい。10月11日 朝からみぞれの中、植林現場(河川敷)に3m弱のポプラを植える。大石小石混じりの河原に苗木を植える作業も手袋はビッショリ、冷たさが特にキツク感じる。午後は雨が更に強くなり作業中止。
◆翌12日 目覚めると外は雪でまっ白。豊寧での初雪だそうだ。雨、雪は止んでいる。我々40名の親善大使は、前日より更に冷たく寒い風が吹く中、皆よく植樹に励んだ。
◆豊寧には前橋の高橋浄さん(経済連OB)も参加。帰途の北京の車中で聞いた話に感動した。帰国後、浄さんより立派な本が届いた。「桜美林大学」の創立者 清水安三さんの中国北京での教育の一部を山崎朋子さんが著したもの。私は何度も涙を流しながら一気に読み上げた。浄さん巣晴らしい話、本を謝々・。
◆これからは重慶の話。ここ江津市徳感鎮(コウシンシトッカッチン)はまだ半袖での作業が丁度よい気候。20名の親善大使は20〜73才迄、その半分はリピーター。
◆この4年間で、桃、梨、山椒等を植え、皆よく活着している。今回はみかん。亜熱帯地域なので草も木もよく育つ。村民はよく耕作しているのだが、根が強く張らないものばかりなので大雨の時の土壌流失が激しい。
◆我々はさつまいも畑の中に入り、みかんを植える。今迄も白菜に落花生、枝豆畑に踏み込み果樹林に変えてきている。近い将来この徳感鎮は果物の一大産地になる事と思う。
◆今回の同室は農業研究家の池 東輝(高砂市56才)サン。もう何回も一緒になっている。帽子を斜めにかぶり、タバコをくわえた自称『俺らは地球人』は農業、地質、動物等自然、環境何でも博学でその上実践家である。この彼の指導はとびきり素晴らしく説得力もあり、我々仲間の『宝』でもある。彼の話を聞いていると人間が大きくなれる。
◆彼との話で改めて確認したことは?家族の協力を得て?環境保全と食料を大事にし?背伸びをせず自分の出来ることをやれば良い?人の心に木を植えて、現地の若い人達を育てよう?他人を光らせ、自分は光る必要なし。以上の様な事だが、酔っ払っての話としては、結構的眼とをお互い言い合っているのかな。
◆その他、昨年クブチ砂漠で頑張っていた小泉 麗(豊島区28才)さんも同じ班。まさかこのツアーで再会するとは。横山勝夫(岩手郡64才)さんからも嫁さん、家族を大事にするよう、又、バッチをつけている人を使わずに一つの事業をすすめ、今それが完成の一歩手前だとの事。生き方を教えてもらった。
◆現地での友達も少しずつ増えてくる。子供達も成長してくる。草唄村の袁村長は34才。その娘は九歳の3年生。4年前は親の陰に隠れながらも、私に飛びかかってきたのが、今は恥ずかしがっているだけ。他の少年たちもしっかりした顔になったし体も大きくなった。謝成亮君はもう6年生との事。人も気もしっかり成長する徳感鎮がより好きになってくる。
◆何故リピーターとして何度も訪れるのだろうか。前出の様な多くの人達との出会いが何といっても魅力なのかな。私の旅は同じこと、地域の繰り返しなのだが自分では納得。
◆最後に重慶と言えば『四川料理』。今回は「やや辛」で我慢。激辛だとビールも白酒もより飲んでしまうので。きっと来年もこの地を訪れ改めて「激辛」に挑戦している自分がいるだろう。

いつの間にか03年11月4日提出の原稿になってしまった 誠四郎 記

※今日は我々夫婦の29回目の結婚記念日でもある。、続けることは年輪が増すことでもありますナー。  


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