2004年08月15日
〓元気一杯の58歳〓
■7月号原稿提出が7月2日、今回が8月15日、1ヶ月半は書くための題材多し。まず今夏は梅雨が短く首筋、肩、腰などの痛みが昨年に比して少なく、とても快調だった。
■7月2日―6日 上海・東莞市の太陽誘電,三洋電機、鹿島エレクトロンなどを訪問。あまりの迫力に圧倒され中国に於ける各社の大発展の可能性を容易に感じ取れた。私は一人、地下鉄で郊外の『上海工商外国語学院』を訪れ内蒙古出身のキンちゃんと4年ぶりの再会を楽しんだ。彼女はここで日本語を教えている。がんばれキンちゃん。
■7日高松中PTAのOB会『三四の会』に出席。倉賀野中の中島校長 常さんは今年で定年とのこと、私と同級生の滝川小の飯島校長(旧姓関弘和君)は、がんの手術後始めてこの会に出席したがとても元気だった。勿論、小野関千枝子会長はさらにお元気だった。
■『田町神功会』は田町1,2,3丁目のまつりの会である。田町山車の維持管理・保存のほかお囃子の継承やまつり活性化研究に励んでいる、会長は設楽恵二さん。今年は『第30回の高崎まつり』この30年のうち田町が山車巡行に参加しなかったのが1度、後は毎年まつりに参加。それだけ『まつり好き』というか『まつりバカ』というかーーー。
■7,8日と2日間のんびりとまつりを楽しんだ。誰だい『ただ酒をゆっくり飲んだだけ』なんていうのは。花火も終わり、最後のフイナーレが田町の『みずかけ』。10年前頃から始まった悪い儀式で男も女も頭からいくつものバケツで洗礼をうける。私は耳が悪いし,年だから勘弁。そんな言い訳はあとのまつり、ザブンとかけられ祭りが終了。
■7月後半から大宮通いが始まった。駅近くの小さな土地の買収と建物解体のために定期券を購入、はじめて『スイカ』なるものを持った。7月26日総評会館、29日、30日中大会館(御茶ノ水)で不動産の勉強会。その他、仕事での出張も多い。都内や大宮を歩くので『1日1万歩』があまり苦にしなくても消化できるので都合がよくて有難い。
■8月10日久しぶりに富山出張に。途中、長岡市のアパートの管理をしてもらっている不動産会社を訪問、チェックをすませる。その後、取引場所の魚津に到着。駅の改札を出ると待合室で見たことのある顔が。『徳鮨』の高橋マスター『徳さん』が2泊3日の立山アルペン旅行の帰りとか『イイなー、奥さん孝行できて、うらやましー』私は駅前の銀行で取引を終了させ、滑川の現場確認に。帰路 高崎に向かったがそのまま大宮へ。
■このところ6時台の新幹線で大宮に向かい高崎に9時には戻る。のんびりと知らない町を歩く、とても気分のよい 何か空を大股で歩くような『新幹線散歩』が味わえる。熊谷や本庄早稲田駅にも下車して駅周辺を歩いてみよう。
■今日は『21世紀の森』野外音楽祭で『加藤登紀子』の歌と『山中千尋』のジャズピアノを聞きにいってきた、中国から留学しすでに日本国籍を持つ『路潔こと大路潔江』さんと同級生の中島和男君と森おさむさんの4人で。会場では塚越弘明にも会った。
■19日は池袋・立教大学裏の江戸川乱歩邸の一般公開に、21日―24日は北京・承徳市、28日は立教大学アメリカンフットボール部の創部70周年祝賀会、9月は立山アルペン・福島母畑温泉、10月ハノイの里子、11月重慶植林など楽しい行事予定が一杯だ。
■アテネオリンピック3日目、テレビはアテネ一色である。『やわらちゃん』『野村』の強さ、精神力には敬服させられた。今月は私の競技に対する考え方を述べて終わりにする。
■『母校・先輩・高崎市・群馬県・関東・日本の為に頑張るんだ』なんて気合を入れられ、そう思いながら、そんなことをいいながら競技をしたことも昔あったけ。個人競技と団体競技でも、記録の優劣・勝ち負けか、そしてすべての競技に『勝ち負け』が存在し順位がつけられる。何らかの理由で自己のベスト記録に及ばないときもあるだろう。『運』『不運』もある。結果『勝ち負け』がある。勝てば驕ることなく精進し負ければ原因をしっかり見極めさらに努力を積む。これは競技ばかりでないことは賢明な諸氏には理解頂けるであろう。
■特に陸上でも水泳でも『自己新』を出せて負けたならば何ら悔いることはない。上記の『母校---日本の為』でなくやはり『自分の為』だと感じるのは40年前後経過した為なのかなー。
<2004年8月15日 広田 誠四郎 書く。>
■7月2日―6日 上海・東莞市の太陽誘電,三洋電機、鹿島エレクトロンなどを訪問。あまりの迫力に圧倒され中国に於ける各社の大発展の可能性を容易に感じ取れた。私は一人、地下鉄で郊外の『上海工商外国語学院』を訪れ内蒙古出身のキンちゃんと4年ぶりの再会を楽しんだ。彼女はここで日本語を教えている。がんばれキンちゃん。
■7日高松中PTAのOB会『三四の会』に出席。倉賀野中の中島校長 常さんは今年で定年とのこと、私と同級生の滝川小の飯島校長(旧姓関弘和君)は、がんの手術後始めてこの会に出席したがとても元気だった。勿論、小野関千枝子会長はさらにお元気だった。
■『田町神功会』は田町1,2,3丁目のまつりの会である。田町山車の維持管理・保存のほかお囃子の継承やまつり活性化研究に励んでいる、会長は設楽恵二さん。今年は『第30回の高崎まつり』この30年のうち田町が山車巡行に参加しなかったのが1度、後は毎年まつりに参加。それだけ『まつり好き』というか『まつりバカ』というかーーー。
■7,8日と2日間のんびりとまつりを楽しんだ。誰だい『ただ酒をゆっくり飲んだだけ』なんていうのは。花火も終わり、最後のフイナーレが田町の『みずかけ』。10年前頃から始まった悪い儀式で男も女も頭からいくつものバケツで洗礼をうける。私は耳が悪いし,年だから勘弁。そんな言い訳はあとのまつり、ザブンとかけられ祭りが終了。
■7月後半から大宮通いが始まった。駅近くの小さな土地の買収と建物解体のために定期券を購入、はじめて『スイカ』なるものを持った。7月26日総評会館、29日、30日中大会館(御茶ノ水)で不動産の勉強会。その他、仕事での出張も多い。都内や大宮を歩くので『1日1万歩』があまり苦にしなくても消化できるので都合がよくて有難い。
■8月10日久しぶりに富山出張に。途中、長岡市のアパートの管理をしてもらっている不動産会社を訪問、チェックをすませる。その後、取引場所の魚津に到着。駅の改札を出ると待合室で見たことのある顔が。『徳鮨』の高橋マスター『徳さん』が2泊3日の立山アルペン旅行の帰りとか『イイなー、奥さん孝行できて、うらやましー』私は駅前の銀行で取引を終了させ、滑川の現場確認に。帰路 高崎に向かったがそのまま大宮へ。
■このところ6時台の新幹線で大宮に向かい高崎に9時には戻る。のんびりと知らない町を歩く、とても気分のよい 何か空を大股で歩くような『新幹線散歩』が味わえる。熊谷や本庄早稲田駅にも下車して駅周辺を歩いてみよう。
■今日は『21世紀の森』野外音楽祭で『加藤登紀子』の歌と『山中千尋』のジャズピアノを聞きにいってきた、中国から留学しすでに日本国籍を持つ『路潔こと大路潔江』さんと同級生の中島和男君と森おさむさんの4人で。会場では塚越弘明にも会った。
■19日は池袋・立教大学裏の江戸川乱歩邸の一般公開に、21日―24日は北京・承徳市、28日は立教大学アメリカンフットボール部の創部70周年祝賀会、9月は立山アルペン・福島母畑温泉、10月ハノイの里子、11月重慶植林など楽しい行事予定が一杯だ。
■アテネオリンピック3日目、テレビはアテネ一色である。『やわらちゃん』『野村』の強さ、精神力には敬服させられた。今月は私の競技に対する考え方を述べて終わりにする。
■『母校・先輩・高崎市・群馬県・関東・日本の為に頑張るんだ』なんて気合を入れられ、そう思いながら、そんなことをいいながら競技をしたことも昔あったけ。個人競技と団体競技でも、記録の優劣・勝ち負けか、そしてすべての競技に『勝ち負け』が存在し順位がつけられる。何らかの理由で自己のベスト記録に及ばないときもあるだろう。『運』『不運』もある。結果『勝ち負け』がある。勝てば驕ることなく精進し負ければ原因をしっかり見極めさらに努力を積む。これは競技ばかりでないことは賢明な諸氏には理解頂けるであろう。
■特に陸上でも水泳でも『自己新』を出せて負けたならば何ら悔いることはない。上記の『母校---日本の為』でなくやはり『自分の為』だと感じるのは40年前後経過した為なのかなー。
<2004年8月15日 広田 誠四郎 書く。>
Posted by 広田 金次郎 at 14:47│Comments(0)
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